| 「プレゼントです」 僕の作業を妨害するように書類の上に置かれたのは、鉢植えだった。ここに骸が来た時に一瞥した顔が普段よりも気持ち悪かったから、何かあるのだろうとは思っていた。まさか鉢植えのプレゼントとは。 無言で突き返すも、骸はそれを無視して言葉を続ける。 「ガートルート、っていうんです」 「いらない」 「綺麗な花が咲くんですよ」 「いらない」 「二、三日に一回お水をあげて下さい」 「いらない」 「しかしあげすぎは禁物です」 「いらない」 「そして愛情込めて名前を呼んであげて下さいね」 「いらない」 目も合わせず、機械的にいらないを連呼し、鉢植えを腹部に押し付けてやる。骸に構っている暇はない。利き手を書類の上に走らせ、目で文字を追いかけ、業務作業に集中する。 だから気付かなかったのだ。骸が僕の机の上に乗り上げてきていた事を。 「恭弥」 甘美な響きは耳元に寄せられた唇から聞こえてきた。瞬間的に体が硬直し、ペンを走らせていた手も動きが止まる。 熱をはらんだ吐息が耳にかかると、頭の中に靄がかかったように思考の一切が働かなくなる。しかし自分の手から鉢植えが落ちた衝撃で我に帰り、瞬時にその場から飛び退いた。 耳を押さえる僕に、骸は満面の笑みを向ける。 「ね、こんな風に名前を呼んであげて下さい」 「――っ、咬み殺されるか出て行くか、さっさと決めなよ」 潜めていたトンファーを取り出すと、骸は窓から出て行った。あの嫌みで耳障りな笑い声と、邪魔でしかない鉢植えを残して。 どうしよう。鉢植えと窓とを交互に見て、逡巡する。神出鬼没な骸は次にいつ来るかわからないし、連絡もつかない。とは言ってもこの花に罪はないので捨てるのも戸惑われる。以前問題を起こした緑化委員に任せるとなると癪だし、骸が再び現れるまでの間、どうやら自分が世話をしなければいけないようだ。 ため息を吐いてトンファーをしまう。鉢植えの植物にまだ花はついていない。棘のあるツタがあっちこっちに伸びているだけだ。応接室の窓辺にそれを置き、草壁にジョウロを取ってくるよう電話で頼む。 名前、なんだっけ。鉢に巻かれた赤いリボンに、タグがぶら下がっている。表には何も書いていなかったが、しかし裏返して見てみると、骸の字できちんと名前が書いてあった。 「ガートルート……?」 二、三日に一回水をやるくらないなら、草壁に任せるまでもなさそうだ。 ガートルートを背を向けるようにして座る。とりあえず、この山のように積み重なった書類をどうにかしなければならない。溜め息を皮切りに、再び書類にペンを走らせた。 喉を締め付けられる痛みに、勢い余って立ち上がった。ガートルート、ガートルートだ。あの棘のあるツタに絞殺されそうになったのだ。 息は上がり、冷や汗が頬を伝う。倒れた椅子のキャスターが乾いた音を立てて回る。おぞましい物を見るような目でガートルートを睨みつけるも、月明かりに照らされたそれは静かにそこにあるだけで、もちろんツタなど伸びていない。 おかしい、確かに僕の首に……。 いつの間に寝てしまったのか、窓の外もこの部屋も暗闇に包まれていた。まず明かりを点けてから、次に鏡の前に立った。 「……な、い」 しかし眩い蛍光灯の光に照らされた首には、締め付けられたような痕もなければ、傷一つ付いていない。乱れた襟から骸に付けられた赤い印が覗いているだけだ。 夢だ、僕は悪夢に魘されただけなんだ。花が人を殺そうとするなんて、あるわけない。そう考えると途端に自分が馬鹿らしく思え、潔く鏡の前から立ち退いた。カーテンを閉めて、倒した椅子を直して、それから応接室を出よう。 順番に閉めていくと、最後のカーテンはガートルートが置いてある窓辺のものになり、嫌でもその花が視界に入った。そこでふと気付く。ガートルートに、蕾がある事を。確か寝る前にはなかったはずだ。丸くぷくりと膨らんだ桃色の蕾は可愛らしく、植物などてんで興味はなかったはずだが、少しばかり愛着が湧く。 「明日になればもっと育つかな」 予定変更。カーテンを閉めて、椅子を直したら、ガートルートに水をやって家路に付こう。 ガートルートは育つのが早い。三日目にして、もうこれ以上はつかないんじゃないか、というくらい蕾がついた。一番早くついた蕾なんかは、今にも花開きそうだ。 椅子を窓辺に寄せて、ガートルートの傍で本を読む。日の光を全身で浴びるガートルートは気持ちよさそうで、開けた窓から風が入ってくると、ガートルートの香りも一緒に運ばれてくる。 「お気に召しましたか?」 背後からした声に振り向くまでもなく、骸は僕の頬に唇を寄せた。 「まぁね。この花は手間もかからないし、なにより早く育ってくれる」 「クフフ、無精な上にせっかちときた」 「人間誰しもそうだよ」 言い終わるより先に唇を塞がれた。もう慣れたといえば慣れたが、こういう外国人臭いところ(実際外国人だけど)が嫌いだ。偏見だとはわかっているけど、少なくともヤマトナデシコだとか呼ばれる、そういう類の日本古来からの風習を受け継いでる模範の人たちは、ベタベタしたり、すぐキスしたりしない、と思う。受け入れてしまう僕も悪いのだけど、骸は拒んだって懲りないやつだし、好きにさせておくのが得策だろう。 舌を絡めるやり方も大分慣れた。しかし僕が慣れれば慣れるほど、骸はまた違うやり方で攻めてくる。 「……僕に勝った気でいるの?」 「さぁ?」 カチカチ、と変な音が鳴った。聞き覚えのあるような音だ。間違っていなければこれは多分、カッターの音。しかし何故? 骸はというと、いつの間にやら僕の肩に印を付けていた。 「ガートルートは僕と同じなんです」 先ほどまで吸われていた箇所に鋭い痛みが走る。恐らく、骸にカッターで切りつけられたのだろう。 「何、して……!」 「白い肌に赤は栄えますね」 脈打つように痛む傷口に、今度は滑りと生暖かさを持ったものが触れる。それが触れていると、患部からは痺れるような痛みが伝わってくる。 傷口を、舐められているんだ。時折吸い上げられると鈍い痛みが走るが、なんとも形容し難いその感覚に、吐き出す息が熱くなる。 「ガートルートを、大切にしてください」 律儀に僕の衣服を正すと、骸は早々帰ってしまった。 中途半端に熱に浮かされて、そのまま放置されて、一体どうしろと言うんだ。なすがままにされるのも嫌いだが、焦らされる方がもっと嫌いだ。 ガートルートに付いているタグが揺れる。骸の文字で書いてある花の名前、それを見ただけで胸は締め付けられる。鉢植えごとガートルートを抱き締めても、骸の体温が伝わって来るはずなどなかった。 昨日は散々だ。肩に残る切り傷を思い出すと、自然に溜め息も零れる。切られた上に、人をその気にさせておいて消えるなんて、あんまりだ。 ガートルートはというと、まだ花は咲いていない。 「君はいつになったら咲くのさ」 ガートルートを見ていると、気の所為か心が安らぐ。骸の事など頭の隅に追いやって、水やりをしつつガートルートに見とれる。 ジョウロを鉢植えの隣に置き、水に濡れた可愛らしい蕾を指でつつく。少しでも刺激を加えれば綻んでしまいそうなのに、その蕾は未だ閉じたまま。咲くのが待ち遠しい。 のんびりと穏やかな時間を過ごしていたが、それもそろそろ終わりにしなければならないようだ。廊下を走る音が、こちらに向かってくる。案の定、応接室のドアを開けたのは僕の一番信頼している部下――草壁で、額には汗、頬には殴られたような痕があった。 「失礼します! 校内に他行の生徒が集団で……」 「ワォ、少しは手応えあるかな」 ガートルートが咲く前に終わらせよう。必ずその蕾から花弁が広がる瞬間を見届けよう。暖かな眼差しを一瞥、ガートルートに向け、応接室を出た。 校内に侵入しているという事は、ここはもう戦場だ。応接室を出た刹那、窓を割って飛びかかってきた他校生徒に部下がやられた、かに見えた。振りかざされた鉄パイプは草壁の腕で止まり、頭部への直撃は避けられた。 「委員長! 先に……」 僕の学校を、秩序を乱す者は誰一人として認めない。排除するまで、だ。 草壁が言い終わったころには、鉄パイプは主人を無くし、廊下に転がっていた。 「油断しない事だね」 しかし油断していたのは僕の方だった。 僕の体を何か、何かが突き抜けて行った。 「委員長!」 痛みなんか感じなかった。ただ、弾丸が僕の腹部を貫通したのがわかった。 なんたる失態、なんたる恥。僕には僕の並中を守る義務があるというのに。 体から力が抜ける。トンファーが滑り落ちる。後ろに倒れると、廊下のずっと先に、銃口をこちらに向けて震えている奴が見えた。まさか当たるとは思っていなかったのだろう。僕もこうなるとは思ってもみなかった。 草壁の僕を呼ぶ声が遠くなる。閉じた瞼の裏に、ガートルートが見える。 ガートルート、ああやっぱり君は、赤い花だったんだね――。 「おはようございます」 うっすらと目を開けると、白い天井、横には骸が座っていた。規則的に耳に届くのは心電図の音。息が楽だ、と思ったら、鼻と口を酸素マスクが覆っていた。 どうやらここは天国などではなく、病院のようだ。 「全く、心配したんですよ!」 「……死んで、ない?」 「まぁ、こうして僕と話せるのは奇跡に等しいですがね」 骸の背後では僕が会話する様を見た医師達がなにやら慌てふためいている。 そうか、これは奇跡なんだ。本当は僕は今頃あの世行きで、こうして骸と話す事も、また学校に行く事も、ガートルートに水をあげることも……。 「そうだ、ガートルート!」 「もう枯れてしまいましたよ」 思わず体を起こして叫んだ僕に、骸は被せるよう告げる。途端、起きた衝撃で腹部に痛みが走った。傷口が開いたようだ。 激痛にらしくなく呻き声をあげてしまうと、医師達が集まってきた。骸と駆け寄ってきた医師達が異口同音で安静にしていなさいと僕を横たわらせる。事が済んだら群れは出ていけ、と無言の圧力をかけると、すごすご出て行った。 「ガートルートの夢を見たんだ。赤い花だった」 悔恨か感傷かわからない感情が渦巻き、どうしようもなく手を握り締める。今でも鮮明に覚えている。あの血のように赤い花弁を広げたガートルートを。 しかしあれは本当に夢だったのだろうか。どうも現実のように思えてならない。 「あれは君の為に咲いて、一晩で散った花――ガートルートに感謝する事ですね」 僕の為に咲いて、一晩で散った――。 相変わらず骸は理解し難い事を言っているが、今日の言葉はなんとなく納得できるような気がした。なんとなく、だが。 蕾だった頃のガートルートを思い出し、頷いて微笑む。骸はそんな僕の酸素マスクを丁寧に外し、いつもより優しく口付けた。心音を刻む機械音のテンポが早くなった事は、僕だけが知っていればいい。 end. 「petshop of horrors」の「花と刑事さん1」のパロディでした! 「petshop of horrors」シリーズはとってもおすすめですので、是非読んでみてください。 ※「1925」以降試験的にレイアウトを変えています。 |