「雪が溶けたら春が来ますね」
 冬という物は、限りなく幻想に近い。
 彼と口論を繰り返しながら作ったマフラーは、僕と彼の首を繋いでいた。首もとに緩く巻き付けたそれは、彼が足を止める度に首をきつく締め付けた。
 意味もなくポケットに入っていた折りたたみ式携帯電話を開いた。待ち受け画面上部に流れるテロップには一週間前に起きたスリップ事故の事が表示されていた。加害者は未だ逃走中らしい。
 この事故の事は良く知っていた。何せ黒曜で起こった事故なのだから。被害者は男子中学生。黒曜町内にある中学校の生徒会長を務めていたそうだ。名前は忘れてしまった。だが事故の内容は何度も繰り返し放送していた地元のテレビ局のお陰ではっきり覚えている。
 時刻は午後六時くらい。雪のちらつく夜、誰かと携帯電話で通話していた被害者は、並盛町からの帰路を歩いていた。歩道と車道の境界線がない細い道の端を歩いていたが、後ろから猛スピードで車が来た。その音に立ち止まり、振り向いた時、漸くドライバーは男子生徒に気が付いたのか、急ブレーキをかけた。猛スピードを出していた車、路地には積もった雪。そして車はスリップし、車体は被害者目掛けて突っ込み、被害者は塀と車の間で押しつぶされて……。

「寒いですねぇ」

 携帯電話を畳み、再びポケットに押し込んだ。この話を思い出すのは止めよう。この事故には、僕より雲雀くんの方が関係が深いからだ。死んだ被害者と最後に通話していた相手、それが隣にいる雲雀くんなのだから。
 さくさくと、数センチ程積もった雪の上を歩く。足跡一つ付いていない真新しい雪は、僕と彼の重みで押し潰され、二人分の足跡となって残った。
 彼の手に視線を移した。彼の左手は僕の右手を待っているかのように左手だけ手袋が外されていた。ついつい伸びた僕の右手は、迷う事なく彼の左手を掴んだ。
 街灯に照らされて出来た二つの影は、首と手、二ヶ所繋がっている。そんな影を後ろに携えながら、僕と雲雀くんは雪降る静かな夜の街を歩いていた。

「……君が悪いんだよ、骸が約束破るから」
 毛糸で編まれたマフラーは彼の口元にあり、彼の発した言葉を聞き取り難くしていた。それでもその言葉は確かに聞こえた。僕の右耳から入り、左耳に抜ける事無く脳にしっかりと焼き付けられた。
 雲雀くんの歩調に合わせて歩く裏通り。そこは僕達以外に人など一人もおらず、辺りは静まり返っていた。それでも彼の声は異様にも思える程、鮮明だった。
「一緒に見ようって言ったのに」
 雲雀くんの方へ視線を向けると、彼は確と前を見据えていた。でもその目には溢れんばかりの涙を湛えていた。
 泣きそうな顔ですね、雲雀くん。恐らく僕も、情け無い顔をしているに違いない。
「手だって、ただの気紛れだから」
「マフラーは巻くのに?」
「それは約束だから仕方なくだよ」
 はぁ、と吐いた彼の溜め息は吐き出された途端に白く染まった。口から出でたそれは刺すように冷たい空気中へと、混ざってはやがて掻き消えた。ほんの数秒の出来事だった。
 一度も僕に視線を向けてはくれなかった伏せ目がちな目。地面へ視線を送る彼の目を見ていると、彼は一瞬僕の方を見て、気まずそうにまた地面へと視線を向けた。
「骸の手は冷たいから嫌なんだ」
 涙声で話す雲雀くん。今日はいつもよりやけにお喋りだ。
「一緒に見ようって言ったのに」
 そう言うと彼は足を止め、空を仰ぎ見た。
 少し遅れて僕も止まった。その時ばかり、首に巻き付けたマフラーは突っ張る事なくはらりと解け、絡ませた指も徐々に解けた。
 今、僕と彼を繋ぐ物は何もない。

 もう一度、手を取ろうとした時、「触らないで」それを拒絶する雲雀くん。
 どうして。そう問おうとした時、彼は湛えた涙を零す事無く、空に向けていた視線を僕に向けた。
「僕が望む事、出来もしないのに」
 その目の縁には、瞬いたら零れてしまうんじゃないかと思う程、涙が溜まっていた。
「僕はまた、君に嫌われてしまいましたね」
 それでも僕は、君を嫌いになれないんですよ。君の傍にいれない日を、僕は想像すら出来ないんです。
 幻想という物は、限りなく死に近い。だけどこれだけは覚えている。
「雲雀くん、僕はまだ覚えてますよ」
 あの時、最後に絡めた指を解いたのは僕でしたね。唯一実体で君と会えた時に握った手は、僕には暖か過ぎたんです。
「……君の手のぬくもり」
「――ず、るい。狡いよ骸」
 寸善尺魔という言葉は、強ち間違ってなかったのかも知れません。

 ついに彼は泣き出してしまった。僕の言葉だけでは彼の涙を止める事は出来なかった。
「……くせに、僕を置いて、……」
 泣きじゃくる雲雀くんにそっと手を伸ばした。流れる涙は、雲雀くんの小さな手だけじゃ溢れてしまう。そっと頬に触れると、雲雀くんはびく、と体を震わせた。流れる涙を出来るだけ優しく拭ってやる。
 ねぇ雲雀くん。強がりだとしても、縁起でもない事、言わないで下さいよ。確かに幻覚という物は限りなく死に近い。幻覚と死の境界線なんて分からない。でも僕はここにちゃんと存在してるじゃありませんか。
 雲雀くんは頬に触れている僕の手を振り払い、叫んだ。

「雪の日のスリップ事故、僕を置いて、死んだくせに!」

 その声は刺す程に冷たい冬の空気に響いた。
 ああ冷たい。雲雀くんの頬も涙も唇も。どれも暖かいはずなのに。おかしいですね。雪の所為? 冬の所為? それらに限りなく近い何かの所為? それとも僕の手が冷たいんでしょうか。
 冬も雪も儚くて冷たいから、永遠に暖かい場所まで導いてあげたい、と思った。僕の居場所は恭弥の隣だから、僕の向かう先、恭弥も一緒に来てくれますか?
 気付けば僕等がいる場所は、あの事故が起こった場所だった。車の眩いライトが僕等を、いや、恭弥を照らした。

end.

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花言葉:カーネーション