三月十四日、今日が何の日かなんて今の今まで覚えていなかった。確か一ヶ月前にチョコレートをもらった気がするから、と思い出し、そうすればホワイトデーか、などとのんびり考える。
 ホワイトデーにはお返しをするんだっけ。一応チョコレートは一つだけもらった。もちろん、僕なんかに易々とチョコレートを渡すのは、ただ一人しかいない。
 六道骸、一ヶ月僕にチョコレートを渡したこいつは今、僕の目の前で眠っている。いや、今じゃない。永遠にだ。
 骸が死んだ、しかしそれは一言では済まされず、また、一筋縄では処理できない問題だった。
 一切この事は口外するなと赤ん坊に言われ、事情を知っているであろう跳ね馬と沢田には同情され、どうしてあいつは死んでも僕に迷惑をかけるんだ、と腹立たしかった。しかし赤ん坊達の慌ただしさを見ると、煩わしい反面、やはりただ事ではないのだと実感もした。
 死体は今、僕のベッドに横たわっている。死因はわからない。ただ、本当に眠っているだけのような、綺麗な死に顔をしている。
 骸を端に退かして、隣に寝転がる。足元に寄せていた布団を引っ張り上げ、骸にもかけてやる。おやすみ、呟いてももちろん返事はなく、溜め息をついて電気を消した。
 死体と寝るのは今日で二日目。生きてた頃の骸と寝るよりは鬱陶しくないけれど、それでも死体特有の冷たさと硬さは解せない。死後硬直した人間の体は、思ったよりずっと硬い。
 腕を上げる事ができないから、仕方なく肩に頭を乗せる。冷たい、硬い、骸じゃないみたいだ。
 
「……なんで君は、骸だなんて名乗ったんだろうね」
 
 その時の骸は、とても暖かかったのに。
 明日の午後、赤ん坊達が骸を引き取りに来るらしい。死体と就寝する日もこれで最後だ。骸と一緒に眠る、最後の日。
 
 
 
 自分の涙が肌を伝っていく感触で目が覚めた。首だけを動かして時計を見れば、真夜中午前二時。反対側に首を動かせば、そこには確かに骸がいる。
 行かなくちゃ。骸がいなくなってしまう前に。しかしどこへ、何をしに? わからないけど、わからないけれど、骸を背負って、どこか遠くへ行かなくちゃ。
 不確かな物ほど怖い物はない。何に駆られるでもなく、強いて言えば何らかの焦燥感に駆られ、勢い良く体を起こした。布団を足元へ押しのけ、冷たい骸を背負う。死人は重い。パジャマのまま、半ば引きずるように運び、靴も履かずに部屋を出た。
 駆ける、とはほど遠い鈍い歩み、それでも確実に地面を踏んでいく。
 ずりずり、ずりり。深夜二時の路地に、引きずる音が響く。死体を背負って徘徊する僕は、頭がおかしいのだろうか。消えかかる街灯が僕と骸の合わさった影を、作っては消え、作っては消えを繰り返す。
 
「影は一つなのに」
 
 死姦しようとは微塵も思ってなかった。だがそれをしたくないとも微塵も思わなかった。
 街灯の下に骸を下ろし、跨る。微かに震える手で肌をなぞり、血の気が引いた乾いた青い唇に、自らの唇を押し付ける。そして唇を合わせたまま、小さく、好き、と呟いた。
 
「心中しよう」
 
 笑って骸の頬を撫でる。
 骸一人が死ぬなんておかしい。骸が死ぬなら僕も死ぬべき、それが節理だと思わないかい?
 自問自答した後、やっぱり少し笑って、また骸を担いだ。
 途中、地区のゴミの回収場所で、本を縛っていたビニール紐を奪い、それからはひたすらに歩き続けた。小石が、足の裏に食い込む。コンクリートの地面は、二人分の体重を載せた足には優しくない。
 
「やっぱりおめぇか、ヒバリ」
 
 聞き慣れた声に顔を上げれば、そこに赤ん坊が立っていた。
 闇に紛れるスーツは赤ん坊そのものだ。気配を消していたのだろう、直前まで気付かなかった僕も、まだまだ甘い。
 
「どうする気だ」
「……止めても無駄だよ」
「それでもオレには止めなきゃいけねぇ義務がある。多少荒いやり方でもな」
 
 こちらに向けられた銃が黒光りする。
 
「早く撃ちなよ、赤ん坊。それが僕の望みだ」
 
 しかしそれは火を吹く事なく、諦めと悲壮が相半ばしたような仕草で下ろされた。
 
「ヒバリ……」
「この死体は僕が処理する。心配いらないよ。じゃあね」
 
 赤ん坊は何も言わなかった。僕は佇む赤ん坊の横を、骸を引きずって黙って通り過ぎた。それからは骸の足が地面に擦れる音だけ響き、赤ん坊がまだ背後にいるのかどうかすらわからなかった。
 察しのいい赤ん坊のことだから、おおよそ全部分かっているのだろう。今の僕は骸以外眼中無人で、実際この身がどうなろうと構わなかった。プライドなんてどこかに置き忘れてきててしまったようだ。
 赤ん坊にも渡さない、ヴィンディチェなんかにも渡さない。
 
「骸だけが、僕の全てなんだから」
 
 並盛海岸行きの看板が、青白く闇に浮かび上がっていた。
 
 
 
 夜が明けてしまう。断崖絶壁から見る地平線は、朝焼けに浸食されている。
 骸を置き、ビニール紐をポケットに突っ込む。その時ポケットに護身用の折りたたみナイフが入っていた事に気付いたが、そんな事はどうでもいいんだ、慌てて石を探した。しかしあるのは小さな石ころばかりで、目的の大きい石はない。別の場所をあたらないと。
 ひとまずか崖から離れ、遠回りして砂浜に行って(別段飛び降りても良かったのだが)、夏には賑わいを見せる海浜駐車場へと走った。砂がいたずらに僕の足を取り、転倒しそうになりながらも、海に背を向けて走る。日が昇りきる前に全てを終わらよう。全て、全て終わらせなきゃ。
 やがて目の前に、ブロック塀の囲いを発見した。僕が探していたのはこれだ。積み重なるブロックを一つ取り、今度は海に向かって走る。その時には、太陽が少しだけ恥ずかしそうに姿を覗かせていた。
 遠回りがじれったい。でもブロックを抱えて崖を登るわけにもいかず、なるべく早く、出来るだけ早く、走った。横たわる骸が視界に入った時、僕の心臓は壊れそうなほどに大きく脈を打った。
 
「骸っ……」
 
 骸、僕、ビニール紐、ブロック。材料は揃った。ああ、でもここからどうすればいいのだろう。生きた人間と生きた人間なら簡単なのだろうが、生きた人間と死んだ人間ではなかなか難しい。
 骸を前に逡巡していると、ポケットの中にナイフが入っていたのを思い出した。
 これだ、これを使おう。
 骸の手首に突き刺し、骨をよけて柔らかい肉に穴を貫通させる。そこにビニール紐を通し、しっかり手首に巻き付けて縛る。これなら解けないだろう。僕の手首もナイフで傷つけ、ビニール紐を通して、縛る。それでも余る紐の先に、今度はブロックを巻きつけた。ブロックの穴に紐を通し、これも解けないよう固く結ぶ。
 出来た。これで、骸と僕は一つだ。
 
「愛してるよ、骸」
 
 いつかこの紐が解けても、僕らはあの世で二人一緒。
 もう男一人背負う体力はなく、崖の縁ギリギリまで骸を引きずる。
 良かった、丁度今、太陽が完全に姿を見せた。
 橙色と紺色のコントラストが美しい空を仰ぐ。そして骸を抱きかかえ、太陽と海に背を向けて、僕は真っ逆様に落ちた。入水してからは、骸と共に海に沈み、ただたゆたうばかり。いつか海の藻屑と化して、この身が朽ち果てようとも、楽園で永遠を辿るんだ。
 肺に水が満ちる感覚に、そっと僕は目を閉じた。
 
end.
 
三日遅れのアンハッピーホワイトデー!
バレンタインとかホワイトデーに恨みがあるわけじゃないんですけどね。