いつからだろう。夜の帳が降りる度、背中が痛み出すようになったのは。
 それは夜が深まる事に疼きを増し、太陽が顔を出す頃、痛みは絶頂に達する。不甲斐なく涙で濡れた瞳が朝陽を映した時、漸く眠りに付ける。それまでは睡眠も休息も許されず、ただ痛みに喘ぎ、悶え、耐えるのみ。隣で愛しの人が眠る今日も、決して例外ではなかった。
 
 うつ伏せ寝のまま声を押し殺し、痛みを堪える。痛みを和らげる施しも出来ないまま毎晩なんとかやり過ごしているが、慣れる事はない。多分この先もずっと。
 苦痛に冷や汗を浮かべる雲雀に気付くよしもなく、愛の言葉を交わした恋人は安らかに眠っている。この死ぬよりも辛辣な痛みを、奇怪な現象を、打ち明ける事が出来たならどんなにいいか――そうしたら心の靄も晴れるのだろう。
 顔を上げて時計を見るも、先刻見た時より五分も進んでいない。時を刻む針は、雲雀を嘲笑うように重々しく進む。夜明けまで、まだ三時間はある。
 時計とにらめっこをしていると、一瞬、背中の痛みが猛烈な物に豹変した。不意を突かれ、耐えきれず声を上げてしまう。
 その時、恋人――六道骸が、寝返りを打った。慌てて雲雀は口を塞ぎ、彼に背中を向け、待つ。起こしてしまっただろうか。早くなる鼓動と背中の疼きが合わさり、気持ちが悪くなる。
 やがて規則正しい呼吸音が聞こえてきた。絶え絶えの息の中に混ぜるようにしてため息を吐き、安堵に胸を撫で下ろす。骸に心配をかけたくないのと、痛みの結末を知られたくない事から来る緊張で、どうにかなりそうだった。しかしそれが終わっても尚、痛みは絶頂を迎えるまで続く。終わりはまだ程遠い。
 
 夜は苦しみを伴い、静かに深けていく。
 
 
 
 あれから一週間が過ぎた今日。雲雀はある場所へと足を伸ばしていた。
 電車を乗り継ぎ、たどり着いたのは東京都心の新宿駅。そこを出て東に向かうと、新宿歌舞伎町二丁目に入る。そこでまず雲雀の目に飛び込んできたのは、“新中華街(ネオ・チャイナタウン)”というビル。派手な外装は一際目を惹いた。迷う事なく、雲雀はビルの中へ足を踏み入れる。
 外装と同じく、ビルの中は眩いばかりに装飾が施されていた。パンフレットには、館内は上海の街並みをイメージして作られたと書かれている。案内図を片手に慣れない館内をさまよい歩き、目的の店を探していく。
 数分後、ふと気が付けばその店の真向かいにいた。
 
「ここが、伯爵の……」
 
 D伯爵(カウント・ディー)の、ペットショップ。ここが雲雀の目指していた店だ。
 聳え立つ華々しい扉をくぐると、清楚かつ洗練された店内が雲雀を出迎えた。鳥籠や檻が所狭しと並べられ、その中には見慣れたものから、図鑑にすら載っていないだろうと思わしき動物達が各々の時間を過ごしている。
 そして何より一際目立つのは、ひらひらとした衣服を身につけた、オーナーの伯爵であった。チャイニーズ風の整った顔立ちで、まさに容姿端麗という言葉がぴったりだ。これで男だというのだから、なんだか勿体ない気もする。
 店内から何まで戸惑う雲雀に、伯爵は優雅な動作で会釈をする。
 
「ようこそカウント・ディーのペットショップへ。当店では――」
 
 顔を上げた伯爵が雲雀を見て、驚きの表情を浮かべる。言わずもがな、伯爵は分かったらしい。
 
「あなたは……」
「僕が分かるの、伯爵?」
「雲雀様、これは大変な粗相を致しました。お許し下さいませ」
「……やめて、頭を上げてよ」
 
 雲雀は自ら羽織っていた学生服を取り、Yシャツも脱ぐ。露わになった背中を伯爵に向けると、伯爵は何も言わず、そっと肩胛骨付近を撫でる。そこは神経をも麻痺させる痛みの中で辛うじて分かる、最も痛む場所だった。
 夜な夜な襲う痛みの結末、それが今、伯爵の手により、痛みもなく全貌を現す。それには雲雀自身も目を丸くした。伯爵の指は魔法のようだ。
 
「お美しい羽根では御座いませんか」
 
 褐色の表面に、黒褐色の斑。内側は汚れを知らない純白の色。――雲雀の背中に現れたのは、見紛う事なき翼だった。それも模様からして、雲雀という鳥類の翼だ。広げると数メートルといった具合で、背中に翼を携えた姿は、どことなく天使にも似ている。ただ神妙な顔付きが天使には不釣り合いだった。
 感覚を頼りに何度か自主的に羽ばたかせると、はらり落ちた羽根が空気中に舞い上がる。伯爵の誉め言葉を反芻し、雲雀は奥歯を噛み締めた。
 
「悪魔の羽根だよ、こんな物……!」
 
 雲雀は左側の翼を乱暴に掴むと、伯爵の慌てふためいた制止も聞かず、それを体から引き裂いた。無論、翼には神経も通っている上、皮膚とも繋がっている。相応の痛みが駆け巡り、血が患部から流れ出し、思わず雲雀はその場に膝を付く。それでも毎夜魘される痛みよりは遙かに軽い痛みだった。
 取り乱した形相の伯爵は、出血している患部をなんとかしようと、服の布で必死に押さえる。
 
「ああ、なんという事を!」
「……まぁ見ててよ」
 
 伯爵の手を振り払い、額に汗を浮かべた雲雀は妖しく微笑む。雲雀が悪魔の羽根と言ったのには、ただ嫌悪しているだけでなく、きちんとした理由があった。
 滴る血を数えながら暫し待つと、夜間雲雀を苦しめ続ける痛苦が突如として襲ってきた。濁点の混じる声を絞り出し、どうにか痛みをやり過ごそうとする。痛苦は着順に段階を踏み、激しい物に変貌していく。
 その時、ある変化が起きていた。雲雀の背中、翼の生えていた箇所から垂直に腰までの辺りが膨らんでいたのだ。
 とうとう耐えきれず、涙を流す雲雀を、伯爵は心配そうな眼差しで見つめている。だがこの痛みの中、周りを気にする余裕もない。伯爵が自分の手を握っている事ですら、分からないくらいなのだから。
 甚だしい痛みの末、雲雀の体は痙攣に近い震えを起こしていた。目は見開かれ、心臓は激しく脈打ち、痛みに意識が飛びそうになる。喉から出される声は絶叫などではなく、絶え絶えの呼吸音のみ。異変を感じ取ったペット達は、騒ぎ出している。
 
 悪魔は前兆なく現れた。
 
 背中の膨らんでいた部分、肩から腰の辺りまでの皮膚を割き、翼が突き出てきたのだ。仰け反り喘ぐ
 血飛沫が跳び、赤く染まった翼は、最早天使のそれとは似つかない……敢えて言うならば、堕天使のそれに近い。
 雲雀はペットショップの床に力無く横たわり、虚ろな目で世界を見ている。
 脅威の速度で再生する翼。
 こんな物、異形としか形容できない。
 
「だから、言ったじゃないか」
 
 引き裂いたはずの羽根は、雲雀の手から跡形もなく消えていた。
 
「悪魔の羽根だって」
 
 僅かな力を振り絞り、体を起こす。雲雀はペットショップの奥へ続く扉を見て意を決し、ポケットから何かを取り出す。
 光を受けて艶めくそれを伯爵に見せ、懇願した。
 
「これが消えるまででいいんだ、僕をここに匿って。その写真の男が、直に僕を探しに来る」
「追われている身なのですか?」
「違うよ。その男は僕の恋人なんだ。まだ人間だった時からの仲でね……兎に角、匿って欲しい」
 
 伯爵な二転三転する雲雀の行動にいまいちついていけないような素振りを見せるが、頼みは聞き入れてくれた。雲雀の手を取り、ランプを持って、溜め息混じりに店内の奥へ続く迷宮に案内する。
 幾つもの扉を通り過ぎ、幾つもの階段を上り下りし、伯爵の後をついて行く。ランプに照らされた扉は皆同じように見えて、皆違っていた。広狭の感覚を狂わせる道のりと、香の匂いに若干翻弄されるも、なるべく余計な事――骸の事は考えないようにした。
 不思議な事に、伯爵に触れていると体が軽くなったように思える。その証拠に、雲雀は自らの足でしっかりと地面を踏んでいた。不可思議な事が起こるペットショップ。あの噂は本当だったのか。
 間もなく、伯爵はある扉の前で立ち止まった。
 
「ここでお待ち下さい」
 
 扉が開かれ、闇に包まれた室内の一角がランプに照らされる。
 そこには、老若男女から容姿まで、てんでばらばらな人達がいた。待たされている客か、とも思ったが、明らかに違う。まず部屋が真っ暗であった事、それから応接間は入り口付近にあった事。これらは些細な違和感だったが、それ以外に、民族衣装のような服を身に纏った者、見るからに外国人風の出で立ちをした者、それらが大半を占めており、この部屋だけ日本ではないような錯覚に捕らわれる。
 逡巡する雲雀の横で伯爵が指を鳴らすと、部屋の電気が付いた。それまで暗くて見えなかった部屋の中が眩い光に照らされる。そして雲雀は、全員の背中に翼がある事をその目でしかと見た。
 自分と同じ、人達。それだけで自分だけではなかったのかと多少なり安心する。僅かばかりの可能性に縋る思いで勝手に口は伯爵に質問を投げかける。
 
「この人達は人間なの?」
「お間違いなく。こちらの方々は皆、鳥ですよ」
 
 可能性はあっさり砕かれた。
 この人々も人間ではない、鳥。伯爵の皆という言葉には、きっと自分も含まれるのだろう。
 
「種類こそ千差万別ですが、あなたと同じ……」
「冗談言わないで、僕は人間だよ!」
「……失礼致しました」
 
 震える体を抱き締めるようにして押さえる。やはり自分は、人間ではないのか。今まで人間として生きていて、人間として愛の契りも交わしたと言うのに。
 今更鳥だなんて、信じられるものか。
 認めたくなかった。信じたくなかった。だから声を荒げて否定した。気持ちの大きさを比べれば諦めの方が多いだろう。それでも自分が抵抗を止めれば、例え嘘だろうと本当にそうなってしまう気がして、恐怖と不安に戦いた。
 噛み締めた奥歯が音を立てた時、肩に手を置かれて我に返る。先程の憤慨で未だ興奮覚めやらぬ状態の雲雀を宥めるように、伯爵は耳元に口を寄せ、甘美な声で囁く。
 
「もし彼がここに来たとしても、貴方は気丈に振る舞えばいいのですよ。自分は、ヒバリだと――」
 
 振り向いた視線の先の伯爵は、どこか蠱惑に思えた。
 
「それではごゆるりと」
 
 伯爵は一礼し、扉の向こうに消えた。雲雀の激昂にも動じず、最後まで冷静を保ったまま出て行った伯爵。何か裏があるような気がしてならない。
 しかし考えるより先に、雲雀の名を呼ぶ声がした。
 
「おまえ、ヒバリだろ?」
 
 言葉を発したのは、ソファーを占領するように座った柄の悪い男だ。この男も例外ではなく黒い翼が生えており、雲雀はそれに目を取られる。服装の色は赤と黒を主とし、日本人にもいるようなシルバーアクセサリーをごっそり付けた格好で、銀色の髪、顔はどことなく洋風である。
 男はタバコをふかし、鋭い眼光で雲雀を吟味するように見ている。それに気付いた雲雀が、不快感を露わにした顔で睨み返す。雲雀にとって、この手の男は相性が最悪だった。
 
「田舎もんが、ここに何の用だ」
「教える筋合いはない」
「ンだと……随分偉そうな口きいてくれるじゃねぇか」
 
 売り言葉に買い言葉。
 初対面で睨み合う二人に、鮮やかな色の髪をした女性が制止をかける。
 
「やめなさいハヤト、この子は伯爵のお気に入りよ」
 
 ハヤトと呼ばれた男は、渋々ながら雲雀を睨むのを止めた。雲雀も逆らう気には慣れず、部屋の隅に視線を移す。
 止めに入った女性は、大人な女性の雰囲気を醸し出しており、長くストレートで尚且つ目をひく桃色の髪が印象的であった。スレンダーなボディラインを更に際立たせる衣服を身に纏い、壁に背を預けている。ちらりと見たその顔は、朧気ながらハヤトに似ている気がした。背中に生えたその翼も、色は白いがハヤトとそれとそっくりだ。
 
「ごめんなさい、この子ったらいつもこうなの。気にしないで、こっちにいらっしゃい」
 
 断るのも気が引けるが、言われるがままもどうかと思い、女性から少し離れた部屋の隅を陣取った。床に座り、膝を抱える。
 
「すれてるのね」
 
 クスリと微笑したその表情が、雲雀の脳裏に浮かぶ骸の姿と重なった。
 骸はいつも、こうやって微笑んでいた。彼から逃げているはずなのに、無償に会いたくなったのは何故だろう。
 
 
 
 あれから三日が経過していた。雲雀の言った通り、骸はカウントDのペットショップを訪ねてきた。その顔は特に焦っている様子でもなく、どちらかと言えば訳が分からず混乱しているようにも見える。
 伯爵は骸にも形式的な挨拶をし、ごく普通に接客を始める。それを遮って、骸が神妙な顔付きで問う。
 
「少々お尋ねしたい事があるのですが、お時間のほどは?」
「……時間がかかりそうですね。そうだ、この間いただいた美味しい紅茶があるんです。丁度ティータイムにもいい時間ですし、お茶でもしながら話しましょう」
 
 朗らかな顔でさくさくと話を進める伯爵に骸は辟易したようにも見えたが、促されるまま席についた。伯爵は少し離れた所で手際良くアフタヌーンティーの用意を始める。
 大皿一杯の洋梨のタルト、溢れんばかりに装われた杏仁豆腐、季節外れのブッシュドノエルに、黒蜜がこれでもかと言うほどたっぷりかかった餡蜜。間も無く運ばれてきたデザートの数々でテーブルは直ぐに埋まってしまった。甘い匂いにつられ、放し飼いにされている動物達も集まってくる。珍しい色の大蛇が骸の背後から忍びより、目と目が合ったときには、骸の顔は真っ青になった。
 伯爵は料理に飛び付こうとする動物達(もちろんあの蛇も含む)を制しつつ、カップに紅茶を注いでいる。その間、目の前に並ぶ豪華なデザートに手を付けるよう薦められた骸だが、その顔は困惑の色を隠しきれていない。
 
「お待たせしました。それでお話と言うのは?」
 
 伯爵が嘶く動物達を一喝すると、動物達はしょぼくれて去っていった。騒々しい雰囲気が一転、平穏になる。
 骸は伯爵が淹れた甘めの紅茶を一口飲み、口を開いた。
 
「実は、僕の知人が三日前から行方知れずなんです」
 
 言わずもがな、その知人というのは雲雀の事だ。骸はさらに続けた。
 
「今日、彼の部屋のパソコンを調べました。するとネットの閲覧履歴から、彼がこのペットショップに関しての情報を至る所から集めていた事が分かったんです。それで、もしかしたら何か関係があるのかと思いまして……」
 
 雲雀がそうして見せたように、骸もポケットから雲雀の写真を取り出した。伯爵はそれを受け取り、紅茶を啜りながら吟味するように見る。
 
「彼の名は、雲雀恭弥といいます。彼がここに来たとすれば、その理由も大方検討はついています」
 
 骸が祈るように握り締めた拳を、伯爵は写真の合間から確認した。そして席を立ち、一番近くの鳥かごを手にする。その中には、青い羽が美しいセキセイインコのツガイがいた。
 
「残念ながら、私は彼を存じません」
 
 一升貸して二斗取る、利取る、利取る。伯爵は鳥かごの中の小鳥に言い聞かせるよう、そう口ずさみながら微笑む。
 利に利食う、利に利食う、後や流す。日一分、日一分、利取る利取る、月二朱。
 二羽のセキセイインコがそれを真似て、リトルリトルと鳴く。
 
「当店では鳥類も豊富に取り揃えておりますよ。気休めにでもいかがですか?」
 
 セキセイインコは骸の方を向いて、一言一句間違わずに歌う。
 一升貸して二斗取る、利取る、利取る。利に利食う、利に食う、後や流す。日一分、日一分、利取る利取る、月二朱。
 
 
 
 雲雀はただ黙って回想していた。
 翼から落ちた羽根を一枚取り、観察する。それは紛れもなく羽根であり、間違いなく雲雀という品種の羽根だ。触り心地はすべすべしていて、気持ちが良い。
 伯爵の所で過ごした三日間は、さながら楽園だった。睡眠、食事、服、何不自由なく過ごせたし、ここなら翼を隠さなくてもいい。伯爵の作るデザートは甘いけど美味しいし、大半の時間を自由に出来る。なにより、あの夜間の痛みが消えたのが嬉しかった。
 同室のハヤトとは相変わらずだったが、良い意味でも悪い意味でも気兼ねなく言い合える仲だ。実は相性がいいのかもしれない、なんて。
 
「……何笑ってんだよ」
「別に」
 
 突っかかるハヤトを一蹴し、雲雀は立ち上がった。
 先程、他の仲間から伯爵が大量にデザートを作っていると聞いた。どうやらお客が来たらしく、もてなす為のデザートらしい。伯爵の元へ行った者は皆口を揃えて一口も分けて貰えなかったと言うが、少し時間の経った今なら余りを分けてくれるかもしれない。
 
「気を付けて行ってくるのよ」
 
 初日、雲雀とハヤトの喧嘩を止めた女性でハヤトの姉でもある、ビアンキが言った。あの日は迷惑をかけたし、ビアンキの分ももらってこようと決め、少し重い扉を押す。
 しかしデザートはもらえそうになかった。
 
「皆さん、お客様ですよ」
 
 扉を開けた直ぐそこには、客――骸を連れた伯爵が立っていたのだ。
 騙されたのか。頭とは裏腹に足は竦んで動かない。骸の目は真っ直ぐ雲雀を見据えている。早く隠れなくては、という思いを聞き届けたのは、疎ましく思っていたはずの背中の翼だった。翼に引っ張られるようにして後ろへ飛び、いつかの定位置であった部屋の隅で縮こまる。状況を察したビアンキが雲雀を庇うように前に立つ。
 皆が異変を感じざわめき立つ中、ハヤトだけが凍てつくような目で雲雀を見ていた。しかし未だそれを知らない雲雀は、ビアンキの後ろで骸から目を離せないでいる。なにか、おかしい。違和感と緊張とが脳を占めていた。
 
「どうぞご覧下さい。お気に召した子がいましたら、お申し付け下さいませ」
 
 骸の行動を目で追っていく。
 まず骸はハヤトに近寄り、顎を指で軽く持ち上げた。それを見た雲雀の心臓は跳ね、鼓動も早くなっていった。ハヤトは普段と変わらないふてくされた顔で骸を睨んでいる。
 
「ほう、なかなか美しい鳥ですね」
「それはハゴロモガラスです」
 
 しらみつぶしをしていくように、骸は片っ端から声を掛けていった。またもや生まれる違和感。しかしその正体は紛れたまま、ついに骸が雲雀の前まで来た。ビアンキに礼を言い、立ち上がる。
 
「君は先ほどの子ですね」
「骸……僕がわからないの?」
「おや、良い声で鳴く」
 
 くすくす笑みを零す骸は骸そのもの。しかし問いかけの返答がないばかりか、会話も成り立たない。それに、接し方がまるで、動物に接するかのような態度だ。
 どんなに名前を呼んでも、しがみついても、骸は雲雀を鳥としか言わないし、そうとしか扱わない。次第にじりじりと目頭が熱くなっていくのを感じた。
 
「その鳥は……雲雀ですよ。日本では春になると見られる鳥です」
「……彼と同じ名前ですね」
 
 そう呟いた骸の顔を、雲雀は直視できなかった。
 君の探している僕は、真向かいにいるのに。胸倉を掴んで叫びたかった。同時に、そんな事をしても無駄だと言うことは痛いほど分かっていた。骸が雲雀の頭を撫でれば撫でるほど、雲雀はうなだれる。あの夜間に訪れていた痛みよりも強く、どうしようもない痛みが胸を締め付ける。
 
「ちょっと失礼します」
 
 足早に出て行く骸を雲雀も伯爵も追いかけなかった。雲雀がゆっくりと顔を上げた時には、ドアからすり抜けていく後ろ姿しか見えなかった。再び雲雀は俯いた。
 取り残された悲しみと、理解できない現実に対する怒りとで、雲雀は奥歯を噛み締める。伯爵に向けた雲雀の顔は、冷静を保とうとはしているものの、激昂の表情が見え隠れしていた。
 
「伯爵、どういう事なの!」
 
 伯爵に駆け寄り、掴み掛かるようにして問う。伯爵はいつもの笑みを崩さず、冷淡に雲雀を見つめる。
 
「私は申しましたよ。もし彼がここに来たとしても、貴方は気丈に振る舞えばいいのだと。貴方は、ヒバリなのだからと――」
 
 背筋に悪寒が走る。
 三日前に耳元で囁かれた言葉、忘れていたわけではない。あの違和感の正体、今、ようやく合点がいった。
 
「どうして……」
「お前がそれを望んだんだろ、ヒバリ」
 
 口を挟んだのは、ハヤトだ。
 
「本当の正体知られて嫌われる事に怯えて、お前はここへ逃げてきた。バレたくねぇんだろ? なら簡単じゃねぇか、ずっとここにいて、ヒバリになってりゃいいんだ」
 
 ハヤトの言葉が突き刺さる。それは正論だからこそ、だ。
 何も言い返せない雲雀に、ハヤトは続ける。
 
「まぁ、いいんじゃねぇの? ここは楽園だぜ。あんな男なんてとっとと忘れて……」
 
 しかしハヤトの言葉は破裂音に掻き消されるようにして唐突に途切れた。肌と肌のぶつかる音が部屋中に反響する。ハヤトの体がなだれるように床に叩き付けられ、雲雀は仁王立ちのままその様を見ていた。
 ハヤトはぶたれた事に呆然とし、雲雀は自身の手のひらが熱くなるのをただ感じていた。上がる息を押さえる声もせず、激昂に歪んだ目でハヤトを見下げる。
 
「骸の悪口を言っていいのは、僕だけだ!」
 
 吐き捨てるように言って、雲雀は伯爵もドアも押しのけて出て行った。
 
 しかし不運は重なる。事態は悪い方へと転がっていく。雲雀が出て行って一分も経たない内に、骸がのこのこと戻ってきたのだ。
 骸にはわからないだろうが、ハヤトは舌を鳴らし、ビアンキは失望を露わにした。何も知らない骸に、伯爵だけか微笑みかけ、とある提案をする。
 
「今からちょっとした遊戯でも致しましょうか――」
 
 伯爵の口から告げられた言葉に、骸は目を見開く。その目にはあからさまな困惑の色が浮かんでいる。骸は踵を返し、足早に部屋から出ていった。
 ゲーム、それは神経衰弱。幾千ものカードの中からたった一組のペアを見つける、無謀にも等しいゲーム。
 
 
 
 探索というよりは徘徊に近い。進んでも進んでも廊下と階段は続き、いくつもの扉の前を通り過ぎていく。
 滞在していた三日間は迷うことなく行きたい場所へと迷う事なく行けた。むしろ“ここへ行こう”という明確な意識さえも必要としなかった。よくよく考えればそれも随分おかしな事だ。
 今となっては方向感覚さえも分からなくなっている。先程から同じ場所をぐるぐる回っているような気もするし、全く違う場所にも思える。さながらここは入り組んだ迷路だ。一フロアよりも広いのではないのかと疑いがよぎる。
 
「誰かいるかな……」
 
 ある扉の前で立ち止まる。試しに扉をノックしてみるが、返答はなく、また押しても引いてもびくともしなかった。鍵がかかっているのだろうか。反対側にある扉も同じようにノックし、体当たりしたり引っ張ってみたが、やはり開かない。
 誰もいない上に、誰にも会えない。三日過ごした楽園は、手のひらを返したように雲雀に冷たい。
 一つ一つ扉を押して進んでいく。果てしないようにも思える廊下を、ただひたすら。
 その中で一つ、押したら鍵の外れるような音がした扉があった。
 立ち止まり、ゆっくり両手で押すと、扉は軋みながら開いた。扉の向こうからは眩い光が差し込んでくる。目も開けていられないほどの眩しさに、雲雀は圧巻される。包み込んだ光は雲雀を新たな場所へといざなった。
 
「……東京」
 
 連なるビルに大通り、スクランブル交差点に駅前のモニター、確かに東京だ。しかし問題なのは、人っ子一人いない事である。モニター画面は真っ暗、車も通らず、雲雀だけがそこに存在している喧騒と人間の消えた東京、絶対あり得る事のない光景、これほどおぞましいものはない。
 尻込みした雲雀をさらに驚かせたのは、カラスの飛び立つ音だった。羽根を羽ばたかせ、があがあ鳴いて飛んでいく。そして地面にはスズメが三匹、仕切りに地面をつついている。
 人はいないが、鳥はいるようだ。しかしなぜ、人の姿に見えないのだろう。もとより動物が人になるなんて方が嘘臭い話であったため、雲雀はあまり深くは考えずに、出口を探して歩き出した。
 
 ふわりふわり、羽を羽ばたかせながら歩くと、無重力にいるような、そんな気分になる。スキップをするようにふわふわ歩いていくと、小さな鳥が路上で赤い実をつついているのが見えた。
 
「君は……ムクドリかな?」
 
 近寄っても逃げない。
 屈んでまじまじと見る。赤い実を食べ終わった可愛らしいムクドリは、雲雀が手を差し出すと、警戒しながら近付いてきた。しかし一定の距離まではくるものの、それ以上は近付いてこない。
 指を小刻みに動かし、興味を引くも、どうやら警戒心が強いらしい。
 雲雀は暫し、時間も目的も忘れてムクドリに夢中になった。自分でも気付かぬ内に、独りきりのムクドリに対して自己投影していたのかもしれない。
 
「……行かなきゃ」
 
 やがて雲雀は立ち上がった。
 出口を見付けないと、骸を探さないと。ムクドリにさよならを告げ、立ち去った。出口はどこだろう。検討もつかない。もしかしたら、一生ここから脱出できないのかもしれない。一抹の不安が幾重も重なり、押し潰されそうになる。その中でも一番大きな不安、それは“骸に真相を話す事”だった。
 呼吸が苦しくなる。胸を締め付けられる痛みに目眩さえ覚えたが、無意識の内に雲雀は走り出していた。嫌だった、少しでも、骸を忘れて雲雀として彼処にいれば楽なんじゃないか、と考えた自分が。ハヤトの言葉が頭の中で反芻する。
 
『本当の正体知られて嫌われる事に怯えて、お前はここへ逃げてきた。バレたくねぇんだろ? なら簡単じゃねぇか、ずっとここにいて、ヒバリになってりゃいいんだ』
『まぁ、いいんじゃねぇの? ここは楽園だぜ。あんな男なんてとっとと忘れて……』
 
 忘れて、どうしろというんだ。骸のいない世界に、何の意味があるんだ。雲雀として生きる理由も意義も見いだせない。骸の事を忘れて、自分だけのうのうと暮らすなんて、そんな事できない。
 いつの間にか、涙は風に従って目尻からこめかみへと流れていった。目を硬く瞑ると、溢れた涙が更に流れていく。
 
「恭弥」
 
 雲雀を呼ぶ、骸の柔らかい声。
 雲雀は唐突に足を止め、滲む視界の中必死に骸を見つけようとした。
 
「……骸、どこ」
「どこにいるの」
「ねぇ、骸」
「こたえてよぉ……っ!」
 
 空に懇願し、泣き崩れた。涙は次々とコンクリートを濡らし、人影もない道路の真ん中で、雲雀は声を上げて泣き喚く。
 自分が雲雀なんかじゃなかったら、自分が普通の人間だったら、こんな事にはならなかった。数奇な人生を恨んだ、背中の羽を憎く感じた。空なんて飛べなくていい、骸とただ平凡に暮らしたい。雲雀の願いはそれだけだったのに。
 立ち上がり、おぼつかない足取りで歩き出す。骸を探さなくちゃ、その目的だけが雲雀の体を突き動かしていた。
 そんな危なげな雲雀を見ているのは、電信柱に止まる一匹のカラス。ただ普通のカラスとは違い、羽根の付け根――人間でいうところの肩が、派手な赤色をしている。
 カラスは濁声で鳴き、やけに翼を羽ばたかせ、雲雀の前を横切った。突如として横切ったカラスを、雲雀は目線で追いかける。カラスは雲雀が今来た道を戻るように、低空飛行を続けた。雲雀はカラスに誘われるようにして、その後を追いかけた。
 
「待って……」
 
 もつれる足で追いかけるも、カラスは非情なほどに早い。
 雲雀が角を曲がった時、少しだけ見えたカラスは、もうその先の角を曲がっていった。
 
「待って……!」
 
 見失ってしまう。手を伸ばして追いかける。
 ああそういえばここは、先ほどのムクドリと出会った場所か。
 角を曲がる直前、赤い実を踏んでしまい、それに気を取られて振り向いた。次の瞬間、体が横に弾き飛ばされた。
 コンクリートに尻餅をつき、痛みに顔を顰める。誰かとぶつかったみたいだ。文句の一つでも言ってやろうと顔を上げようとした時、鼓膜が破れそうなほど大きい声が聞こえてきた。
 
「恭弥!」
 
 緑の制服、青みがかかった髪、違う色の目……。
 
「む、くろ?」
 
 何故、骸が、いつの間に。
 呆気ない再会に、雲雀は目を見開く事しか出来ずにいる。
 
「どうやら勝者はあなた方のようですね」
 
 振り向いた先に、丁寧にお辞儀をする伯爵まで揃い、最早訳がわからなくなってくる。
 とりあえず辺りを見渡す。道路には無数の人が行き交い、皆が雲雀達を好奇の眼差しで見ては通り過ぎていく。街の喧騒は当たり前のようにあり、骸もいて、伯爵もいる。
 戻ってきたのだ、普通の街に。
 しかしそれを実感して落ち着く間もなく、すぐに次の問題が襲ってきた。
 
「骸、僕の背中……」
「背中?」
 
 ない。確かにあった羽根が、ない。
 
「そう地べたに座っていては不審に思われます。さぁお引き取り下さい」
「でも、伯爵……」
「貴方が望んだのでしょう?」
 
 骸が隣にいて、自分は普通の人間。
 それは確かに、他でもない雲雀自身が強く望んだ事。楽園を抜けて、愛する人と共に歩む事を、雲雀はあんなにも渇望した。それは事実だ。
 雲雀は微笑する伯爵の目を見据え、ゆっくりと頷いた。
 
「……帰りましょうか」
 
 互いの指を絡め、家路につく雲雀と骸。
 伯爵は見送りながら呟く。
 ――これは一世紀に一度、あるかないかの奇跡。主人はペットを求め、ペットは主人を求める。その重さが釣り合った時にのみ訪れる奇跡なのです。
 あの方は知っていた。雲雀が雲雀である事を。知っていて尚、求めた。
 あの二人はきっと、お互いと自分の立場を分かっていながら、主人とペットという関係を超えて、恋人になったのです。
 きっと初めから私が入り込む余地がないほどに、あの二匹は深く愛し合っていたのでしょうね。
 
「それで良かったの? 唯一無二の親友を、送り出す役割なんて」
「……あいつは親友なんかじゃねぇよ」
 
 よく似たカラスが二羽、飛び去っていった。
 
「ああしかし、オッドアイのムクドリ、逃がしたのは少々惜しかったのかも知れませんね」
 
 伯爵は笑みを浮かべて、都会の空を仰いだのだった。
 
end.
 
petshop of horrorsパロディ第二弾です。長いお話だったので、ラストくらいは簡潔にしました。
手抜きじゃないんです、本当なんです!
 
以下ネタバレ。反転して見て下さい。
雲雀はヒバリで、骸はムクドリです。雲雀は自分がヒバリだと分かっていますが、骸がムクドリだとは知りません。骸は自分がムクドリだとは気付いていませんが、雲雀がヒバリなのは知っていました。
獄寺とビアンキはハゴロモガラス。
一升貸して、利取る利取る〜はヒバリの聞きなしです。