雲雀が激しく咳き込む姿を、骸は優越感に浸りながら見ていた。
 先刻の出来事だ。気持ちよく寝ている雲雀の唇を割り、口移しで赤ワインを飲ませてみた。雲雀の口から零れたワインが白いシーツに染みを作る様を傍観していると、口角が上がるのを抑えきれない。勿論、雲雀がこうなる事は想定の範囲内である。
 雲雀は忌々しげに骸を睨んではいるものの、目に涙を浮かべ、苦しそうに呼吸をしていた。気管からはひゅうひゅうと音がし、口の端にはワインが筋を作っている。その屈しない態度がより一層、骸を興奮させるとも気付かずに。
 この間も、寝ている雲雀に糸を付けた指輪を飲ませる、というイタズラを仕出かした。指輪を飲ませた直後、予定通り雲雀はすぐに目を覚ました。そしてこれまた予定通りに骸が糸を引っ張り、指輪を引きずり出した。その時も今と同じように、雲雀は不機嫌極まりない顔でむせかえっていた。あの雲雀が咽せたりする様は見ていて面白い。その後に加えられる制裁ですら滑稽に見えるほど。
 骸が思い出し笑いをしていると、隙をついて、雲雀が枕を投げつけた。それは憤りをぶつける代わりだったのかもしれない。しかし骸にもプライドはあり、顔面に向かって飛んでくる枕に黙ってぶつかってあげるほど優しくはなかった。むしろその逆だ。
 回転しながら飛んで来る枕を容易く受け止めてみせると、雲雀の機嫌は目に見えて悪くなった。
 
「クフフ……残念でしたね」
 
 不敵な笑みを零すと、ベッドから降りる途中の雲雀にきつく睨まれる。
 
「僕は眠いんだけど」
「コーヒー淹れておきましたよ。飲んだら少しは目が覚めるんじゃないですか?」
「君が僕を起こさなければ、僕はすんなり起きてたよ」
「おや、それは失礼しました」
 
 寝室とスライドドアを隔てて隣にある部屋はリビング兼キッチンダイニングとして使っている。その部屋にあるテーブルに並んで置かれた、二つのマグカップ。色は違えど同じデザインだ。中には双方共にコーヒーが入っている。
 骸はマグカップの青色の方を手に取り、銀の容器に入ったミルクをたっぷり注ぐ。黒い液体に白い液体。まるで雲雀のようだと骸は思った。着ている服だって白いシャツに黒いスラックス、容姿も黒髪に黒曜石の双眸、目に余る白い肌。ではそんな彼の内面は何色なのだろうと考えながらもミルクを注ぐ手を休める事はない。
 黒か白か、はたまた灰色か。
 立ち上る湯気にミルクの香りが加わり、骸は無意識の内に顔をしかめた。昔からコーヒーはブラック派であるが故に、どうもこの香りが好きになれないのだ。
 のらりくらりとスライドドアの影から姿を現した雲雀に、ミルクを入れた方のマグカップを手渡した。雲雀は半ば奪うようにしてマグカップを受け取ると、中身を見て目を丸くする。
 
「驚きましたか?」
 
 立ったままじっとそれを見つめる雲雀を下から覗き込むようにして声をかけた。すると雲雀は不覚、とでも言うように少し頬を染めて骸を睨む。
 
「別に」
 
 そう答えるのが早いか否かのタイミングで、マグカップに人差し指を突っ込む雲雀。
 雲雀が驚くのも無理はない。何せコーヒーの水面には、ミルクで描かれた「I love you」が浮かんでいたのだ。ましてそれが恋人や異性からならともかく、同性の同居人にしか過ぎない、いやそれ以下の最上級に嫌悪している奴からの告白なのだから驚かないはずがないだろう。
 雲雀は指でコーヒーをかき混ぜ、ミルクの文字を消していく。骸はその態度が少しばかり腑に落ちなかった。やはりリアクションに期待するのであれば、くしゃみや咳といった生理現象を引き出すイタズラが打って付けだ、などと一人考察する。
 今度はティッシュを縒って、鼻をくすぐってやろうか。
 
「君さ、やっぱり生理現象が起きるようなイタズラにすればよかった、なんて考えてたでしょ」
「……ご名答。よく分かりましたね」
「誉められても嬉しくない」
 
 ふん、と鼻を鳴らしつつ、先ほどまでコーヒーに突っ込んでいた指を舐めてから、色の薄くなったそれを啜る。骸も同じくコーヒーを啜りながら観察していると、雲雀はコーヒーが熱かったのだろう、より眉をしかめて反射的に口を離した。
 
「なんで君なんかと一緒に暮らす羽目に……」
「僕は嬉しくて仕方ないのですが」
 
 指なら熱くない事を覚えたのか、繰り返し指を突っ込んでは舐め、突っ込んでは舐めを繰り返している。赤い舌が白い指を這う度、自分が舐められているんじゃないかと錯覚しそうになるほど、骸は激しい興奮に苛まれた。あの舌に舐めてもらえたら、もしくはあの指を舐められたら、自分はどうするだろう、と考えを巡らせた。
 雲雀は悶々とする骸など眼中になく、ひたすらコーヒーを舐めている。行儀などかなぐり捨てたのか、今や人差し指と中指を交互に、加わて付け根まで入れ、舐め続けている。
 そんな雲雀に、とうに我慢の限界がきていた骸は、耐えきれず後ろから腕を回した。両者共にコーヒーが入ったマグカップを持っているというのに、お構い無しにきつく抱き締める。
 
「ちょっと、スキンシップなんて必要ないでしょ……!」
 
 骸とはただの同居人である雲雀は、もちろん抵抗する。コーヒーが零れないよう気を使いながらも、骸の腕を振り解こうとしている。骸はそんな雲雀を多少面倒だとは思ったが、決して離そうとはしなかった。いや、したくなかった。
 雲雀の首筋に顔を埋め、柔らかい皮膚を唇で吸う。体が一瞬強張ったのを直に感じたが、どうやら抗う事はしないらしい。満足した骸は、次に首筋を舐めた。今度はさすがに嫌だったららしく、声を上げて身を縮める雲雀。あまりいじめるのは可哀想だと、舐めるのはやめにした。寝癖がついている後頭部に囁くようにして話す。
 
「これはスキンシップなんて生半可なものじゃありませんよ」
 
 溜め息を吐いた腕の中の雲雀が身を捩る。離さないようしっかり抱き直し、今度は耳元で囁いた。
 
「愛情表現です」
 
 わざと息を吹きかけてやると、またもや体を強張らせている。
 強情な彼が漸く受け身になったと骸は安堵したが、次の瞬間それは勘違いだと気付かされた。告白後初めて発した言葉は、普段と変わりない少々辛辣なものだったのだ。
 
「ねぇ、君は頭がおかしくなったみたいだし、治すためにもコーヒーかけていいかい?」
「……恭弥がそれを望むのであれば」
 
 どうせただの戯言だろうと高をくくっていると、雲雀は宣告の通り、本当にコーヒーをかけた。骸の髪から滴るコーヒー、雲雀の空になったマグカップ。鼻腔には、あのミルク特有の嫌な匂いが漂ってくる。
 状況の整理がつかないまま、暫く呆然としていたが、雲雀の声で我に帰った。匂いと濡れから来る不快感に眉根を寄せる骸に、雲雀は嫌味ったらしく声を出してせせら笑う。
 
「この間の分と今日の分の仕返しだからね」
 
 すっかり緩んだ骸の腕から抜けるのはさして難しくなかったようで、マグカップを置いた後、欠伸をしながら寝室へ戻っていった。それから数秒経ち、乱り顔の骸もマグカップを置いて、寝室へ駆け込んだ。
 仄暗い寝室の中、雲雀は若干量のワインが零れたシーツに顔を埋めている。骸もベッドに乗ると、それ以上近付くなと警戒するように追い返しの言葉を浴びせられる。
 
「イタズラしにきたなら帰って」
「どうして逃げたんですか」
「逃げてないよ。抱き締めたいなら勝手にすればいい」
 
 面倒臭そうに緩慢とした動きで起き上がり、雲雀はほら、と挑発的な態度で両手を広げた。骸はその華奢な体を掻き抱き、勢いのままベッドに押し倒す。
 さすがの雲雀もこれにはびっくりしたようで、骸を引き剥がそうと肩を押して抵抗する。しかし骸は離れようは微塵も思っていない。抵抗すればするほど抱き締める腕の力を強めると、雲雀は苦しげに唸った。骸の髪から垂れるコーヒーの雫が引き金となり、雲雀の不満は爆発した。
 
「やっぱり嫌がらせにきたんじゃないか! 僕が君の事好きなの知ってて、そうやって中途半端な態度ばっかり……」
 
 しかしそれも束の間。言い終わった雲雀の顔からは怒りの形相が消えていく。
 骸はただ雲雀を抱擁し続け、押し倒しこそしたがその先はしなかった。予想外の雲雀の本音に心臓は激しく脈を打っていたが、それが彼に聞こえても一向に構わないような気がした。
 
「好きです」
 
 嬉しさに胸を締め付けられ、喘ぐように呟いた告白に、雲雀は息を止める。骸の肩を押していた腕からは次第に力が抜け、最終的にベッドの上へと放り出された。
 
「いい加減止めて。つまらないよ、そのイタズラ」
「本気で言ってるんです。雲雀くんは僕と付き合って下さるんですか?」
「……勝手に話を進めないで。僕は君と付き合う気なんて更々ない」
 
 てっきり良い答えが返ってくると期待していただけに、骸は呆気に取られる。
 密着させていた体を離し、雲雀の顔を見た。その顔に浮かぶ笑み、ワインを飲ませた起床時とはまるで立場が逆だった。
 雲雀はコーヒーの所為で顔に張り付いた骸の前髪を正す。そして頬を撫でたり、鼻筋を撫でたりと至る所に触れる。骸はされるがままに、雲雀に触らせてやっていた。
 
「好き」
 
 突然雲雀が小さく呟いたのと、体を引き寄せられたのは同時だった。雲雀は骸の背に回した手とは別の手で、骸の頬に指を這わせ、伝うコーヒーを舌でなぞった。
 赤い舌が骸の白い肌を滑っていく。
 舐め終わると同時に、二人は視線を交わらせた。
 
「好きだよ、骸。愛してる、でも」
 
 決まり悪そうに視線を外した雲雀。今度は骸が雲雀の頬に唇で触れる。
 
「まだ同居人、で我慢してよ……」
 
 独り言かと聞き紛う程の、小さな声だった。
 彼は自分を好きだと、愛していると言った。ならば自分は、果たしてどちらで返すべきなのだろう。恋が愛へ変わる瞬間がお互いが結ばれた時だと言うのなら、自分は彼を愛している。しかしいくら愛しているとは言え、表面上未だ同居人である彼に愛しているは少々おこがましい気もする。ならばやはり、自分は恋しているのだろうか……。彼が好きでいてくれ、やら、愛していてくれ、などと言ってくれれば楽なのに。
 真剣な表情で考えを巡らす骸に、雲雀は補足するように言う。
 
「好きって、愛してるって言ったのは本当だから」
 
 思考を更に惑わせる発言に、骸は諦めて苦笑した。
 隠しきれていない戸惑いの表情と高揚している頬を見ると、愛しいと思う気持ちが更に込み上げた。このまま私利私欲に任せても良かったのだが、なんとか堪え、雲雀の髪に手を伸ばす。
 艶やかな黒髪を繰り返し撫でると、遠慮がちに雲雀は顔を上げた。その瞬間、無垢だと思った。自惚れではないとしたら、きっとその表情は誰にも見せた事はないのだろう。まごつく恥じらいに、加虐心が湧く。再び熱を持つ欲望と理性とが骸の中で激戦を繰り広げていた。
 骸は心の葛藤に気を取られ、つい言葉を零す。
 
「恋人になるまで、またイタズラしますからね」
 
 雲雀の愛くるしい表情が至極嫌そうな顔に歪んでも、今は全く気にならなかった。自分だけが特別。黒ではない白の彼を見られるのはたった一人、自分だけ。先程の表情を思い起こすと加虐心は疼くが、もう少しだけ待つことにした。
 未だ彼は同居人。明日も明後日も同居人。骸に雲雀はオアズケなのだ。当分は気休め程度のイタズラしかできはしない。
 それでも骸は良かった。それは今日から彼に恋をして、彼を愛する事ができるから、という、とてもちっぽけでとても単純な理由の所為。
 
end.
 

上記企画に提出させていただきました。
コーヒーぶっかけてみたり指輪飲ませたりしてみました。やりたい放題、趣味全開!
若干シュールな感じが出ていたら嬉しいです。