林檎を握りつぶした。ただの気紛れだった。林檎が食べたいと騒ぐから、慣れない刃物を持って八つに切ってやった。それを騒いだ本人に差し出したら今度は、兎にして下さい、と駄々をこね始めた。だからわざわざ兎型に切ってやった林檎だった。握りつぶされた林檎は、切り終わったときより小さくなった。膝上に林檎の破片と果汁が落ちる。落ちなかった果汁は手を伝っていき、シャツの袖から侵入して腕までも濡らした。
 テーブルを挟んで向かい側にいる六道骸に視線を移す。林檎が食べたい、兎にして欲しい、と騒いだ六道骸は、大人しく林檎を頬張っていた。視線が合うと六道骸は何も言わずに立ち上がり、僕の前まで来た。六道骸は大きかった。僕が小さいわけではない。六道骸が大きいのだ。両者が普通に立っていても、大きいのに、今の僕は椅子に座っていて、六道骸は立っている。僕は目の前の人を見上げていた。
 三秒ルールがどうだと言って、六道骸は林檎の破片を口に入れた。そうしてから屈み、僕と目線を合わせると、僕の手を取って果汁が伝った所に舌を這わせた。六道骸の舌が指を這うと、握った指に力が入らなくなった。力が抜けると、握っていた林檎がまた膝上に落下する。もう林檎を口に入れる事なく、六道骸は僕の手を指を腕を、舐め続けた。シャツを捲ってまで、腕を舐めた。

「気持ちが悪い」
 止めろという意味ではなかった。感想を率直に口にしただけだった。
「そうですか」
「違う事がしたい」
「例えば?」

 答えてもいないのに、六道骸は舐めるのを唐突に止めた。その代わり僕を抱きかかえ、寝室まで連れて行った。僕は寝台の上に仰向けに寝かされ、六道骸は僕の上に覆い被さった。それから何をするでもなく僕の目を見て、さながら道化師のような気味の悪い笑みを浮かべた。
「雲雀くんは馬鹿ですね」
 笑顔でこんな事を言うものだから、負けじと言い返した。
「こういう事したいって言ってない」
「馬鹿ですよ馬鹿」
「うるさい。怒るよ」
「そういう顔はしてません。雲雀くんは全部顔に出てます」
 すぐ横の壁に、横長の大きな鏡が貼ってある。縦に使用する用途の鏡を、六道骸がわざと横に貼ったのだ。羞恥心が云々と鏡について説明していたが、僕は真面目に聞いていなかったので、てっきり歌手グループの事を言っているのかと思っていた。僕が身をもって鏡の使い道と貼った理由を知ったのは、その日の晩だった。
 今、鏡に映る僕の顔は、用途と理由を知った晩の表情をしていた。所謂、厭らしい顔をしていたのだ。
 あの時の晩、僕は口の端から涎を垂らし、快感に眉を顰め、部屋に響く音に酔っていた自分を、虚ろな目で見ていた。情欲に浸っている僕はこんなものなのかと、後で思い出しては客観視していた。今の僕は涎を垂らしているわけでもなく、快感に眉を顰めるでもなく、虚ろな目も、酔ってさえもいない。それでも分かってしまう。高ぶる感情を抑えるのは、なかなか難しい。

「全部顔に出てる」
 それは間違いじゃなかった。
「だから言ったでしょう」
 六道骸は呆れたように笑っていた。
 それから、怖くなった。僕という何かが崩れる感覚がした。酷く怖くて、癇癪を起こしたくなった。わけが分からなくなって、拳を鏡に叩き付ける。すると当然のように鏡に罅が入る。僕の皮膚は破片によって傷付き、赤い液体を零した。
 握りつぶした林檎のようだった。僕は六道骸に握りつぶされて、欠片になるのだ。赤色の果汁を零して、破片になるんだ。

「ごめん」
 口から言葉がふ、と漏れた。何に対して謝ったのか分からなかった。六道骸は僕を握りつぶすだろうか。また欠片を食べてくれるだろうか。果汁を舐めてくれるだろうか。どんな顔をして握りつぶすだろうか。渦巻く思いはそれだけだった。
 しがみついた。握りつぶされて、落ちないように。六道骸は僕を宥めた。けれども六道骸の肩に、必死にしがみついた。馬鹿みたいにしがみついて、顔を押し付けた。赤いの液体は手から腕へと伝っていく。シャツは捲っていたから、もう染みる事はない。
 六道骸は僕の手を取り、赤色の果汁を余すことなく舐めた。爪の先から肘まで、丹念に舐めた。

end.

林檎のウサギも可愛いですが、たこさんウィンナーとかお花の形のニンジンもいいですよね。