| 猫だ。彼は猫に違いない。それも躾などという言葉を知らない、野性的な猫だ。 類似点はいくらでもある。 一匹狼で人に懐かず、喧嘩っ早いし、気紛れで寝てばかりいて、高い所が好き。自分のテリトリーを持ち、それを無秩序に侵す存在を決して許さない。自分の従える群れは許容範囲だが、弱い群れには容赦なく攻撃する。規則や法則に厳しく、破る者には自ら制裁を加える。常に頂点にいて、見せ付けるでもなく、無意識の内に力を誇示している(つまり人の上に立つ気質があるということ)。 それに、動作が自然でいて美しい。身嗜みにも気を使うし、なによりも鳴き声が良い。この上なく良いのだ。 最近、恭弥と猫ごっこなるものをする時がある。恭弥は顰め面をするものの、僕が一方的に押し通すので、初めればきちんと応じてくれる。細かい所まで律儀なのだ。だが決してそこに漬け込んでいるわけではない。 それと、猫ごっこには最近できたルールがある。首輪を着けること、人の言葉で喋らないこと、そして主人の命令には絶対従うこと。 初めはそんなルールなどなかったが、雰囲気を出す為に作ったのだ。それを恭弥に聞かせると、勿論首を横に振った。今度こそやらない、と鬼のような形相をした。 だからルールが若干変更になった。首輪を着けられたらしてやってもいいと、恭弥が言ったからだ。首輪を着けるのは思いの他難しかった。 「恭弥、ご飯ですよ」 「……にゃあ」 ご飯は床で食べなさいと言った。 要するに、首輪を着けることができたなら、恭弥に対する絶対権力を翳せるということだ。 赤い首輪は恭弥によく似合った。金色の小さな鈴が鳴ると、本当に猫がいるかのような錯覚に捕らわれた。 ソファに座る僕の足元で、器に顔を突っ込んで食べ難そうにしている恭弥。頭を撫でると顔を上げ、僕の方を見ている。 どうしたんですか、早く食べなさい。そう言っても恭弥は視線を戻さなかった。仕方なしに少しだけ中身の減った器を手に取り、恭弥を膝の上に呼ぶ。 そこが定位置であるかのように躊躇いもなく座った恭弥は、僕の唇に付着していたご飯粒を舐めて取った。 満足気な顔で舌舐めずりする恭弥だが、鼻の頭に可愛らしくハンバーグのソースが付いている。同じようにして舐めると、恭弥は、あっ、と言って僕を制した。 「どうしたんですか」 「猫はそういう事していいけど、猫にそういう事しちゃいけないんだよ」 だからもうお終い。言いながら恭弥は首輪を外しにかかった。恭弥が恭弥に戻る瞬間、それはお似合いの首輪が恭弥自身の手で外される時だ。彼が首輪を触る度、鈴が隣のネームプレートに何度も当たり、けたたましく音を鳴らす。 もう終わりにしてしまうのですか。名残惜しく眉を下げる。 恭弥は首輪を外すと、今まで緊縛していた物から解放されたように首を振った。黒髪と手に持った首輪の鈴が揺れる。 「それから、一つ足りない物があるんだ」 「はぁ、足りない物」 「僕が猫になるのに足りない物だよ」 持て余した首輪を指で弄びながら、呟かれた言葉を、僕は暇つぶし程度に考えた。 赤い首輪、羽の猫じゃらし、魚は常備してあるし(ちゃんと人間用)、恭弥用のクッションも、シャンプーもある。足りない物と言えば、流石にこれは、と思った物だ。 「ああ、そういえば恭弥は二足歩行でしたね。四つん這いがいいんですか」 「違う」 からかいを含んだ嘲笑をしても、恭弥は表情一つ変えなかった。首輪の無くなった首を冷静に振り、恭弥は挑発的な声色で囁いた。当ててごらん。 手当たり次第、思いつく限りに言ってみた。だが本来の猫に対し、あまり知識のない僕は、ものの数分で言葉を詰まらせる結果に終わった。固有名詞をずらずらと挙げて言ったが、どれ一つとして彼の首を縦に振ることは出来なかった。 恭弥は口角を少し上げ、勝ち誇った笑みを見せる。僕はあくまで冷静に、恭弥の顔を見やる。暇つぶし程度に始めた物でも、易々と負けを認めるなどプライドが許さなかった。 しかし結果、僕が折れた。 静寂を裂く溜め息を一つ吐き、目で話を促すよう合図した。それは敗北(という程でもないが)を認める事でもあった。 彼は鼻で笑い、口を開く。 「名前だよ」 恭弥の口から出た模範回答を、つい復唱してしまった。彼に乗せられて、元々ない知識を振り絞ったのに、なんだか釈然としない答えだ。 名前、あるじゃないですか。反抗する僕に恭弥はゆっくり首を横に振った。 「猫に対しての名前。恭弥じゃおかしいでしょ?」 首輪を天井のライトに翳す恭弥。眩しそうに目を細めている。鈴の隣で揺れているネームプレートに文字は書かれていない。 名前なんて、恭弥でいいじゃないか。猫に対しての名前など需要性はないに等しいのに。変な所に拘る人だ。 首輪を翳した状態のまま、恭弥は執拗に続けた。視線は僕に向けられず、首輪――いや、ネームプレートに向けられていた。 「名前、付けてよ」 「僕は恭弥と呼びたいんです」 「違う、そうじゃなくて」 「では何なんですか」 それきり恭弥は首輪を翳すのをやめ、むんずとした顔で黙ってしまった。話を催促するも、頑として答えない。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。 だから彼は猫なんだ。 不機嫌な猫をそのままにしておくと何かしらと困る。上機嫌にさせるには、名前の必要性を当ててやるしかない。我が儘なニーズにも、なるべく応えてやらなければならないのが飼い主の務めなのだから。 個々の判別、存在する物としての確立、名前とはそう言うものだと思う。――それと、他に僕の知っている限りでは、もう一つあった。 「名前は相手を支配する為の物」 異世界幻想小説か空想科学小説か、どちらだったか忘れたが、そう言った事が記載されていたのを覚えている。恭弥の中では、恐らくそれが名前の意味として該当するのではないか。 根拠はなかったが、後の恭弥の反応から確信が持てた。恭弥は元々表情の変化が著しく乏しい為、分かり難いが、瞳孔が一瞬縮んだ。これは恭弥が驚いた時の表情だ。 間を置いて、恭弥は自らの手に合った首輪を、僕に握らせた。そして首輪を握った僕の手を、自分の首に近づけた。 「にゃあ」 いつもより丁寧に首輪を付けてやると、恭弥は鳴いた。名前を頂戴、と言っているのだろう。だから僕は言ってやった。今日から君の名前は、キョーヤです、と。 キョーヤは嬉しそうに僕にすり寄った。澄んだ音を一つ、鈴が鳴らした。 それからまた、猫ごっこのルールが変更になった。恭弥は人目に付く時以外は常に首輪を付けていた。そしてキョーヤと呼べば猫になり、恭弥と呼べば人になる。変更点はそれだけだ。 何も書かれていなかったネームプレートには、キョーヤと飼い主の名前が並んでいる。勿論、六道キョーヤと六道骸の文字。 今日も鈴が忙しなく鳴る。澄んだ音は、部屋によく響く。 人であろうとも、猫であろうとも、我が儘で気紛れで、それでいて艶麗な彼は今日も僕の傍にいる。僕を魅惑し続けるその仕草、悪戯に口を開く度、僕は耳を傾ける。その声は、首輪に付いた鈴の音よりも遥かに澄んでいた。 「ねぇ、名前を呼んで」 end. 萎えるか萌えるか微妙な境の小説だと思います。 ちなみに私の家には黒猫が3匹います。 |