僕は彼を愛している。凄く凄く愛している。愛しているなんて月並みな表現では到底表せないほど愛している。英語で言うならディープだ、ディープラブ。それでもまだ足りず、愛しているという言葉すら軽薄で浅はかに感じるくらい、僕は彼を本気で愛している。
 だから僕は日々、どうすればこの言いようのない愛を伝えられるのか、という事について考え、惜しみなく時間を費やしている。それもこれも彼が好きだから、愛しているから、ちっとも苦ではない。
 しかし、彼は初めから冷めていて、かつ淡々としている。ディープラブだと熱く語れば、そんなにいらない、と遠慮され、また愛してると執拗に言っても、ああそう、と上の空で返される始末。きつく抱擁すれば苦しい、もしくは離せ、接吻を繰り返せばしつこい。嫌がるが自ら進んで離れようとはしないどっちつかずな態度に、僕が翻弄されかけている。
 日本人は曖昧が好きだから、彼も例外ではないのだろうか。だとすれば恋愛においても曖昧だなんておかしいと、鬱陶しがられるのを覚悟で詰め寄りたい。
 彼が恋愛において熱くなるのは、多分、セックスの時だけだろう。情痴の最中の彼はいい、惜しげもなく、とことん乱れる。あんな淫蕩な彼を眺める事が出来るのは、僕だけの特権だ。
 
「僕はアバウトでいいな」
 
 やましい事を考えていると、隣に座っていた彼が急に声を発した。
 そういえば、レンタルしてきた洋画を二人で見ていたんだっけか。僕の思考回路をいかがわしい方向へ向けた問題のベッドシーンはもうとっくのとうに終わっており、今は面影もないシーンが映し出されている。
 邦画のベッドシーンなど鼻で笑いたくなるほど何も感じないが、洋画のそれは一段とエロチックだ。日本はセックスに対してかなり閉鎖的なのに比べ、海外はセックスに対し、開放的なのだろう。それが作品にも十分に表れている。日本人のキスシーンは下手くそだ、と外国人に言われるのはこの所為なのかもしれない。
 果たして彼は、いやらしい気分にならなかったのだろうか。彼だっていくら風紀委員長だとはいえ、健全な男子中学生(年齢不詳)である。
 リモコンを彼から奪い取り、すかさず電源ボタンを押す。それまで映像を映していた最新型の薄型液晶テレビは途端に真っ暗になった。
 
「ばか、いいとこだったのになんで消し……」
 
 僕からリモコンを奪おうと、彼はこちらを振り向いた。全く予想通りの動きをしてくれる。顎を少々強引に掴んで引き寄せ、その悪態をつく唇を塞いでやる。僕の策略にまんまとはめられた彼は、必死に抵抗を試みるものの、舌をすくって弄んでやれば、すぐに受け入れる。口腔の弱い部分をなぞると体を小刻みに震わせ、自ずと貪るように僕の唇を吸い、舌に絡みついてくる。セックスの時だけ態度を豹変させて、これだから僕に淫乱だとからかわれるんだ。
 口付けの時間に比例し、彼の体をソファに沈めると、あのシーンに至る直前と同じ光景になった。
 
「さっきのベッドシーンの真似、してみましょうか?」
「や、だ」
 
 しかし先ほどのキスの余韻か、目は酔っているように虚ろで、半開きになった口の端からは、唾液が筋を作っており、開いた襟元から覗く胸は、酸素を求めて上下している。そんなはしたない姿で抵抗されても、あまり効果はないと分かっているのだろうか。
 じっと見ている隙を狙ってか、容赦なく振り下ろされる手。それを掴み、甲に優しく口付けると、怯んだように攻撃はやんだ。その上、きつく目を瞑り、ソファの背もたれの方へ顔を向けてしまった。予想外の行動におののいたのだろう。
 しかしそのおかげで首筋が露わになり、僕にとっては好都合だった。チャンスとばかりに吸い付き、噛み付き、赤い跡を残していく。そのつど漏れる声が、さらに僕を煽り立てる。
 彼に少しでも伝わっているだろうか。張り裂けそうなほどのこの愛は。
 
「僕はシド、君はナンシー」
 
 向こう臑を持って、足を開く。
 彼は嫌がったが、気にしない。だって僕らはシドとナンシー。嫌がる仕草は脚本にないし、この先する事はもう決まっているのだ。
 横目で時計を見ると、午前十一時。情交に浸るには早いが、まぁ偶にはいいだろう。マンネリ化防止だ。
 
「君はマリファナで酔って、僕に足を開いて、誘うんです」
 
 諦めたのか、一つ溜め息が出て行った。ソファの上で、乱れた服で、ナンシーはシドの首に腕を回し、せがんだ。その可愛らしい唇から紡がれた言葉は、愛らしさとは相反して毒を孕んでおり、僕の耳から脳にじわじわと攻めてきた。
 涙に濡れた漆黒の瞳が、真っ直ぐに僕の目に光を撃つ。
 
「貴方になら、殺されてもいいわ」
 
 その言葉の響きの、なんと甘い事か。
 背筋がぞくぞくと粟立ち、加虐心がじくじくと疼く。閉鎖的な分、いざ見せられると興奮する。これは二人だけの秘め事なのだと、実感すればするほどおかしくなる。僕だけの特権、僕だけが見る事を許される、彼の乱れたその姿。
 シドの立場に立たされて思った。本当は、シドがナンシーを殺したのではない。ナンシーがシドに罪を着せたのだ。不埒な言葉で誘って、油断させて、毒を浴びせて。そしてシドが酔いしれている合間に、ナンシーはシドの手にナイフを握らせ、自らの心臓に誘導した。仕向けたのは、ナンシー自身なのだ。
 
「僕に自分を殺させるというのに、アバウトだなんて、虫が良すぎますよ」
「そう?」
 
 微笑を浮かべる彼と、テレビの中の女優とが重なる。
 本物のナンシーはシドになんと言ってたぶらかしたのだろう。この映画のセリフと同じセリフなのか、それとももっと、大胆なものだったのか。はたまた、全然違うセリフだったのかもしれない。
 殺されてもいい、その一言が寵愛している人から言われた時、僕にとってこの上ないほど嬉しかった。それと同じく、シドもまた、理性をかなぐり捨てるほどの、素晴らしい誘い文句を聞いたに違いない。
 いつの時代も深まる愛の果ては終焉だ。
 愛と死はいつだって背中合わせで、しかもその境界線はぼかされている。どこから危険だと言うのも曖昧で、さらに愛に溺れる本人にはそれが多少危険でも、愛の範疇なら構いやしないのだ。実際、僕がそうなのだから間違いない。
 そうなると、計り知れない愛を伝えるには彼を殺すしかないのだろうか。阿部定が石田吉蔵を殺したように、僕も、彼のか細い首をきゅ、と絞めて。
 
「でもまぁそうなっても、仕方ないですよね。だって僕は君を、凄く凄く愛しているんですから」
 
 彼の首の喉仏あたりに両手をかける。ゆっくり体重をかけ、彼の首を絞めていく。彼は抵抗しない。苦しそうに息を吐いたり、必死に酸素を求めてたりすると、彼の喉が萎縮するように疼く。眉根に皺が寄り、表情からも苦しさが窺える。目は固く閉じられていて、怖いのだろうか、眼瞼の微かな震えが睫毛に伝わり、わなないて揺れている。
 彼の首を絞め初めて二分頃、体重をかけるのではなく、手に力を込めた。本気で彼の首を絞めにかかった。彼はそれを察知したのか、僕の手を解こうと、頻りに爪で僕の手を喉から剥がそうとしている。足も僕を退かそうと蹴飛ばしてくる。
 僕が止めたのは、そんな彼の力が弱まった時だ。本当に死ぬ寸前くらいで我に返り、急いで手を離した。彼は気管をひゅう、と言わせ、途端むせ始めた。むせ過ぎてえずきそうになっている。
 
「殺す気?」
 
 落ち着いた彼が発した一言はどこかトゲトゲしかったものの、その目は僕を睨んではいない。
 
「だって、君を愛してるんですよ?」
「理由になってないよ」
 
 今度は僕の番だ、とでも言いたげに彼はどこからともなくハサミを取り出す。
 日が動いたのだろう。カーテンの隙間から漏れた日光が、高く翳した銀色のハサミに届き、反射する。そうなると反射先の壁に、いびつな形の光ができる。ハサミが動くたび、それもあちらこちらに動いて面白い。
 よそ見をしていると、むんずと髪の毛を掴まれた。慌てて視線を彼に戻す。
 
「殺される前に殺してやる」
 
 彼は冷笑とも喜色とも取れる笑みを零し、僕の髪を無造作に切り始めた。なんの儀式なのだろう。
 切られた髪は彼の上にはらりはらりと落ちていったが、彼は嫌な顔一つせず、楽しそうに髪を切っている。怒る気にもなれず、好きにさせておく。まるで無邪気な子供がオモチャの人形の髪を切って、遊んでいるようだ。そう思えば愛おしくなり、微笑ましく思う。
 ふ、と笑みを零すと、彼の両手はぴたりと止まった。髪の毛を掴んでいた手は降ろされ、開いたハサミの間には、僕の首がある。
 
「おかしいな」
 
 そう言って眉を顰め、ついにハサミも投げ捨てた。フローリングの床に傷がついてしまっていないか、ちょっとばかり気がかりだ。
 
「僕はそんなに君の事、愛してないはず」
「そんなにとはどの程度なんですか?」
「少なくとも、殺したい位には好きだけど」
 
 ああ、なんだ。
 彼も僕の事、好きなんじゃないか。
 それならこの不格好極まりない髪型も悪くないなと思った。彼が切ってくれたのだから。
 
「それって十分愛してますよ」
 
 アバウトラブなんて僕らには到底出来ない。そこにあるのは紛れもなく、ディープラブだ。海よりも深く彼を愛して、津波のように巻き込んでやる。そして最期には、彼を溺死させ、彼に溺死するのだ。
 僕も彼もパンクではないけれど、恋人中毒の、立派なシドとナンシーじゃないか。
 例え、行き着く先が終焉だとしても、それでも構わない。だって愛しているのだから。
 
 
 
 鏡には寝ぼけた顔の僕が、ざっくばらんとしかいいようのない髪型をしていた。なるほど、これはひどい。おかげで頭が痛い、と言いたいところだが、この頭痛は寝る前に考え過ぎたのと、変な時間に寝たせいだと既にわかっていたので髪型のせいには出来ない。
 只今午後十時。あれから二人して寝てしまって、起きたらもう外は暗かった。多分僕は難しい事を考え過ぎたせいだろうし、彼も疲れていたのだろう。寝過ごしたのはなんだかもったいない気もするが、ゆっくり寝て過ごす休日もそれはそれでいい。それに、過ぎた事よりも、今は髪型をどうするかを考えなくてはならない。
 どうセットしようか悩んでいると、次いでこれまた寝ぼけた彼が挨拶をしながら暖簾を潜ってやってきた。あくびをして、寝ぼけ眼を擦っていたが、僕と視線がかち合うなり、わ、と声を上げて目を見開いた。
 
「パンクだね」
「これがパンクだと言うのなら、僕はパンクというものを理解出来そうにありません」
 
 彼は洗面台を占領する僕の隣に割り込んで、青い歯ブラシを取った。口を濯ぎ、辛い方の歯磨き粉をたっぷり付け、歯を磨き始める。
 つられて僕も緑色の歯ブラシを取り、子供用のツンとこない歯磨き粉を付けた。
 口の周りを泡だらけにしながら、彼が一生懸命喋る。
 
「返しに行かないとね、DVD」
 
 そうですね、と頷きかけたが、即座に峻拒する。
 
「違いますよ、まずはキスしましょう」
 
 彼は肯定もしなければ、否定もしない。
 それからはお互い黙って、歯を磨く事に専念した。五分ほど磨いたところで彼が先に口を濯いで、次に僕が口を濯いだ。彼から回ってきたタオルで濡れた部位を拭き、また彼に返そうとすると、どういうわけか視線がぶつかったままになった。
 キスしていいのだろうか。疑問を問い掛けるより先に、体が動いていた。彼の後頭部を押さえ、薄く柔らかい唇に自分の唇を押し付ける。たった一秒足らずの事だ。それなのに、唇から唇へと確かに愛が伝えられる。
 
「一緒に行きましょうね」
 
 さぁ、シドとナンシーを返しに行こうか。
 
end.
 
題材曲:シドと白昼夢/椎名林檎
 
某曲に対抗してみました。骸雲にナチュラルは似合わない。
こういう意味のない小説を書くの好きです。かなり渡辺淳一さんの失楽園に影響されてます。
タイトルはお友達と一緒に考えてもらいました!