四月一日、エイプリルフール。
 世間ではこの日ばかり嘘を吐いてもいいと言われているが、実際嘘を吐いていいのは午前中だけらしい。
 そんなエイプリルフールだが、僕達も十分それを満喫していた。現在、午後十一時を過ぎたところだが、嘘吐き合戦は尚も進行中である。午前中だけ、なんて言うのは殆どの人が知らないだろうし、守らなかったところでどうにもなるわけでもないし。そんな雑学は頭の隅に追いやって、ベッドの上で彼と戯れていた。
 僕が部屋の電気を消せば、彼がカーテンを全開にする。開けたカーテンの向こうには夜景と星空が占めており、近寄って見たくなった。差し込む月光のおかげで、部屋の中は意外にも明るい。足元に気を付けながらベッドを避けて迂回し、同じくして彼の隣に腰掛ける。彼の目はガラスの窓の向こう側にぽっかりと浮かぶ月を映している。僕も彼の視線を追いかけ、鑑賞する。
 惜しむらくは、今日は生憎の曇り空で、星が見えない事だろう。時折月も雲に遮られて、月光が淡い光になる。遮断されるほどではないので、どのみちナイトテーブルのスタンドライトを点ける必要はなさそうだ。
 彼の手が僕の手の上に重ねられたのをきっかけに、後ろへ倒れ、ベッドに寝転がる。ベッドに対して垂直な形で、二人並んで、大きく伸びをする。うぅん、はぁー、という暢気な声が途絶えて暫くし、ふと彼の方に顔を向けると、目が合う。途端、彼の目が細められ、口角が上がった。
 
「大っ嫌い」
 
 ニヒルな笑みを浮かべて、彼は僕を正面から見つめて言った。その表情と声色には揶揄も含まれいた。
 僕も負けじと彼の真似して笑みを形作り、同じく大嫌いと言い返した。
 もちろんそれが大嘘なのは、お互い百も承知だ。
 それからは大嫌い合戦に変わり、大の数を多くしたり、飽きたら暴言が飛び交ったり、しかしまた大嫌いに戻ってきて、最後は念を押すように本当にという言葉が大嫌いの前に付け加えられ、それでも決着は着かず、終いには手が出た。
 そんな長い戦いの終末は突然だった。
 膠着状態に焦らされた僕が体を起こし、彼の上に馬乗りになり、くすぐっていた時だ。は、と気付き、手を止めると、彼の笑い声とも悲鳴とも取れる声も静まった。静寂が運んできた寂寞が、空気を支配した瞬間だった。
 
「どうしたの?」
 
 彼の不安げな表情と、この冷えた空気に辟易しつつも、月光から彼を守るように身を屈めた。ベッドに手をつくと、スプリングが軋む。散々迷った挙げ句、彼の頬に弱々しいキスを落とす。
 彼は僕の頭を撫でて、少ししっとりしてる、と笑う。風呂上がりなのだから、仕方あるまい。
 あの時、そのまま寝転んでいれば良かった。そうすれば水を差してしまう事もなかったろうに。今更後悔したところでどうにかなる問題でもないが、悔いが残る。折角、忘れかけていたと言うのに。
 再び壁の方を見ようとすると、気づいたのであろう彼に、それを阻止された。そして僕をベッドに薙ぎ倒すと、今度は彼が僕の上に乗る。息を吐く間も与えてもらえないまま、僕と彼の唇が重なる。と思えば、舌まで入り込んでくる。僕と違って彼は大胆だ。彼だってあの事を思い出してしまっただろうに、彼の方が僕よりも悲痛な思いをするはずなのに、彼からは躊躇や懊悩といった感情は一切感じられない。怖くはないのだろうか。こちらが気圧されるくらい、彼は堂々としている。
 暫しお互い口付けに浸る。角度を変えながら口腔を荒らし、何度も何度も。それこそ執拗に。時間の流れがとてもゆっくりに感じられた。
 終わった後、彼は僕に人差し指を突き付けて言った。
 
「今日はしないから」
 
 ついでに、と言うよりは、自分自身を擁護しているような物言いだった。こんなにはっきり宣言されるなんて、珍しいなと思った。珍しい、と自ずと零してしまうと、彼に睥睨される。
 至って真剣な顔と語勢に徐々に笑いが込み上げる。彼から顔を背け、こらえていたが、ふいに覗き込まれ、ついに吹き出してしまった。
 部屋に響く声で空気はがらりと変わり、彼だけが怪訝そうに僕を見ていた。何が可笑しいのかと不服そうな表情だ。
 
 一通り笑い終えて、溜め息を吐くと、見計らったように彼が口を開いた。
 
「ねぇ、行かないでよ」
 
 胸に直接突き刺り、のしかかる、酷く辛辣な言葉だ。
 答えられそうになく、君はどうなのか、と身振り手振りで伝える。
 
「行かな……」
 
 そこまで言いかけたところで、電子音が邪魔をした。深夜十二時を告げる、僕の携帯電話から発せられるメロディー。その場に余りにもそぐわない音は、僕のポケットの中で暫く鳴り続け、唐突に切れた。
 再び静寂が戻っても尚、彼は口を噤んでいる。白々しく視線を逸らして、紛らわすように頭を掻いて、溜め息をつく。
 
「やっと、エイプリルフールが終わりましたね」
 
 骸は窮屈なところからようやく出て来られた時のように、腕を天井に向け、大きく伸びをした。
 ああそうか、もう四月一日は終わったのだ。お疲れ様、と微笑を浮かべると、骸の方は苦笑する。
 
「やはり敬語の方が落ち着きます」
「君が普通の言葉だと、変な気分だったよ」
 
 エイプリフールだからといって、無理強いしたのは僕だけど。だって仕方ないじゃないか、時間がなかったんだ。
 あの時、ふいに顔を上げた先にはカレンダーがあった。それを見て過ぎった光景は、水牢に沈む骸の痩身。実際に見たわけではないが、以前骸の思念を通じて享受し、衝撃を受けた。その映像は今でも脳裏に焼き付いていて、なにか切欠があるたびフラッシュバックする。水牢に押し込められた骸の見目形は、有幻覚の骸とは打って変わり、目を逸らしたくなるほどにみすぼらしかった。
 そんな骸が頻繁に有幻覚を駆使し、僕のところへ度々来てくれるのは内心凄く嬉しかった。しかし、来月からは会えない。四月末に骸の処刑が決まったのだと、赤ん坊の口から聞かされた。僕達の間柄でその話は出ていないが、当事者である骸は、嫌でもわかっているだろう。
 だからその日が来るまで、少しでもいい思い出を作ろうと思った。でも最後まで無理して笑うのは、出来なかった。
 透明な雫は、重力に従って流れていく。
 
「僕は恭弥を置いてどこにも行く気はありませんし、行きませんよ」
 
 カレンダー、破っておきましょうね。
 骸の柔らかい声が、僕の上に降り注ぐ。それはとても、幸せで、儚い。いつか当たり前だったこの声も、骸と過ごした記憶の内の、ほんの一つになるのだろう。
 骸のバカ、もうエイプリルフールは終わったよ。一番嘘であって欲しい事は、いつだって僕を裏切って現実になる。わかってるから、抗ったりしない。
 それでも傍にいたいと願う事は、悪い事なのだろうか。願うだけで何も出来ない僕への、現実からの嘲笑なのだろうか。
 
end.
 
ミスリードが上手く行った事を祈るばかりです!
まとめると、このお話は雲雀視点で、中盤までのカッコ付きセリフは全部骸です。敬語じゃないけど骸なんです。
そろそろシリアスやエロから脱却してほのぼのとか甘が書きたいです。