| 多分あいつが水を運んできたんだ。 せっせと運んでは、僕が流すのをどこかで待っている。でもあいつはすぐにいなくなるから、僕が流している所に立ち会えない。それに、僕がそれをさせない。 あいつがいなくなってから流す。あいつがどこかへ行ってしまってから流す。 水はさらさらと下へ落ちていった。今日は寒い夜だから、五階下の地上へ落ちるまえに、氷になっているかもしれない。 「君もいなくなってしまいそうだね」 一人月に話しかける夜は、相も変わらずとても冷え冷えとしていた。細くなった月は僕の言葉など知らんぷり。一人煌々と輝いている。 今晩は冷え込むって言ってたっけ。パジャマの上から羽織っている毛布は、いつしかあいつが持ってきた物だ。手触りがいい、雪の結晶の模様が入った白い毛布。薄着でうろうろする僕に、あいつはいつも背後から毛布を掛けて、そのまま抱き締めるんだ。毛布もあいつもあったかくて、僕はいつも泣きそうになる。同じベッドで添い寝して、幸せに落ちるようにして眠るのに、朝起きたら必ず君はいない。その時も泣きそうになる。残されたのは僕と太陽と君の温もりだけ。ぽっかり穴が空いたように、君だけがいない。そんな時、僕は水を流す。君がいないから堪えるような事はしない。思い切り、ベッドの上に流してやる。バケツいっぱいの水を。 ある時、僕は毛布を掛けなかった。薄手のパジャマだけで、夜空を見上げていた。だってそうすれば、あいつが来てくれるような気がして。僕を労る言葉を囁きながら、肩に毛布を掛けて、抱き締めてくれるような気がして。 「ねぇ、勝負しようか」 バカだから、僕はその後風邪をひいたんだっけ。結局骸は看病にさえも来なかった。いや、僕が風邪を引いたことすら知らなかったのだろう。 ぼやけた星が、心なしかちらちら点滅して見える。 「どっちが多く泣けるかの、勝負」 また今日も、僕はあいつのいないこの部屋から水を流す。五階の窓から、下に向かってばらばらと。通行人なんてしるものか。あいつがよこした水を、僕はただ流すだけだ。 窓から身を乗り出して下を見ていた時、首筋に冷たいものが落ちてきた。あまりにも冷たくて、僕は水を流すのをやめた。部屋の中に引っ込むと、途端にしずくが降ってくる。ばらばらと、沢山、天から降ってくる。 僕は月に言った。 「僕の負けだよ」 窓を閉めて、ベッドに横になった。 その日は泣き疲れて眠ってしまった。 朝、あいつのにおいで目が覚めた。 「おはようございます」 「……骸?」 僕は固まった。信じられなかった、というより、状況が理解できなかった。朝起きたら、死んでいるのか生きているのかすら分からなかった恋人が、平然とベッドの中で笑っているのだ。冷静な対処などできるわけがない。 かちんこちんに固まる僕を、骸は優しく抱き締める。 「また泣かせてしまいましたね」 「泣いて、なんかない」 しどろもどろながらも返事をすると、骸は僕の赤く腫れた目を見つめ、頭を撫でた。どうすべきが一番か、寝起きと混乱のせいで分からなくて、僕は視線を逸らす。 せっかく一人ぼっちに慣れたのに。君がいなくても生きていけそうだったのに。骸が来たら、また振りだしじゃないか。一人の夜に慣れなくて、君がいなくて死にたくなって、泣いてばかりの僕に。 「愛してます」 覆い被さるようきつく抱き締められて、初めて気が付いた。骸から血のにおいがすると。また危険な仕事だったのだろう。考えれば考えるほど嫌になる。水をぶちまけてしまいたくなる。 「また僕は行かなくてはなりません。恭弥、もし僕が」 「もし僕が三年経っても帰って来なかったら、墓を立ててくれ……でしょ?」 「よろしくお願いします」 もう聞き慣れた言葉、なのに胸は疼く。悪い方の「もしも」を想定して話す事が、唯一骸の嫌いなところ。 「……立ててやるもんか」 肩を押すと、骸は僕の頬にキスを落としてベッドから降りた。伸びをする骸の身長と髪が、また少し伸びた気がする。僕の知らない骸になった気がする。 あと五分もしたら、骸はこの部屋を出て行く。骸はまた、僕を置いてきぼりにする。きっと僕が死んでも骸は生きていけるだろう。でも僕は、骸が死んだら生きていけない。僕は骸が思っている以上に、僕が振る舞っている以上に、バカでちっぽけで脆弱で、だめな奴なんだ。 「いってきます、恭弥」 骸が部屋から出て行くのを、僕は絶対に見ない。例えそれが最後に見た骸の姿になろうとも、絶対に見ない。 帰ってこないかもしれないと思うと水が溢れて止まらなくなる。あの背中を見たら、後ろから抱き付いて引き止めたくなる。でもそれが出来ないジレンマに襲われる。天の邪鬼な僕はそれすらできないのだ。骸の前で泣くのも、一人で生きるのも、愛してるすら、言えず仕舞い。 だから僕は、絶対に見ない。背中を向けて目をつむる。骸が呼んでも振り向かない、何度呼んでも。 ドアが閉まる音が聞こえてくると、一粒水が流れていった。 向かい側の古いアパートの、部屋から漏れる電気が全て消えた。寝静まった午前四時、僕は今日も毛布を羽織って空を見る。 あの日空に仕掛けた勝負、今となっては負ける気がしない。勝ちたくなくても勝ってしまうだろう。時が経つほど、僕は弱くなっていく。 「二人ぼっち、だね」 月は相変わらず無口で、僕は水を流してばかりで、星はただ瞬くだけ。 あの日から三年、もちろん墓なんか立ててない。僕が骸の墓に一緒に入れるようになるまで、立ててなんかやるもんか。それが嫌なら帰ってこいと、僕は月に向かって叫ぶんだ。 end. 題材曲:愛 think so./DECO*27 言いたかった事は「例え死んだとしても、自分が死を認めなかったらそれは死んだと見做さない」です。愚かだとは思いますが、アリなんじゃないかと。 ※「1925」以降試験的にレイアウトを変えています。 |