| 結婚しようと言ったら殴られた。場所はリビング、ムードもへったくれもない午前十時。直ぐ近くにソファがあると言うのに、なぜかお互い立ち上がっていた。暫く見つめ合っていたかと思うと、唐突に彼ご自慢のトンファーが僕の腹部にめり込んだ。それでも僕はめげない。というより、ここまでは全て想定済みだ。 僕が避けなかったのをバカにされていると受け取ったのか、鋭い眼差しで睨んでくる彼にもう一度言う。結婚して下さいと。 「失せろ、死ね」 宙を舞うトンファーを避けると、背後からテーブルの上に置いてあったティーカップが割れる音がした。いつしか僕の頭部もあんな風に砕け散ってしまうのかと、粉砕した元ティーカップを見て行く末が心配になってくる。 「どうしてそう暴力に訴えるんですか」 「君が悪い、寝言は寝て言いなよ。どっちにしても結果は同じだろうけど」 プロポーズをしたというのに、あまりに彼がしれっとしているものだから、僕は頭にきてティーカップの残骸を床に落し、自室へ向かった。とあるファイルを手にして戻ると、彼はソファの上でふんぞり返って座っていた。期待していたわけじゃないが、やはりティーカップは片付けていない。ふん、と鼻をならすのも、我が物顔も、よく似合う。 見せ付けるようにファイルをテーブルの上に置く。彼はその黒く分厚いファイルをちらりと見やる。 「余計な物だったら捨てるよ」 「じゃあ見せません。それにこれは僕の所有物です。君に破棄する権利はありませんよ」 そうわざと挑発して、彼とは向かい側の一人掛けソファに座った。白々しいほど楽しげにページを捲っていく。 一度彼の様子を窺おうと目をやると、視線がかち合った。彼はすぐにそっぽを向いたが、恐らくファイルの中身が気になるのだろう。なによりも、小刻みに動く右足が動かぬ証拠だ。 暫くからかってやろうと、鼻歌混じりにページを捲っていった。しかし僕もまぁこんなに集めたものだ。ページの内容に、時折頷き、時折感嘆の声を上げ、時折否定的に唸ったりしてみる。五分ほどふざけた茶番をしていると、いきなりファイルが姿を消してしまった。あっけらかんとする僕の頭上から、笑い声が聞こえてくる。どうやら焦れたらしい彼が奪ったのだ。 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、高々とファイルを掲げてみせる彼。しかし笑うのは僕の方だ。彼を見つめ、開けてどうぞと言わんばかりにはにかんでやると、彼は訝しんで肩を竦めた。 「気持ち悪い」 そう言い捨てまたソファに座る。しかしファイルを開いた彼はもっと訝しげな表情になった。 「……何これ」 「結婚に関する事柄をまとめてみました」 「違う。これ、何?」 疑問の対象を指差してはいるものの、こっちに見せるという配慮は全くしてくれないので、必然的に僕が彼の隣に行く。座った瞬間、彼が僕をまじまじと僕を見ていたが、眉間に皺は寄っていなかった。僕もまじまじと見返したらあからさまに視線をそらされた。 彼が指差していたのは、ダイヤモンドが散りばめられているプラチナのクラウンだった。僕は急いで首を振る。 「これいくらすると思ってるんですか。買えませんよ」 「話しの通じないやつだね。これは何だって聞いてるの」 僕の見当違いな回答にまた彼は不機嫌に戻ったらしい。はた、と止まり、よく考えてから訪ねる。 「クラウン……王冠の事ですか?」 「そう、それ」 それからお互い何も言わなかった。彼はクラウンに夢中だし、僕はそんな彼を観察するのに夢中だった。 彼はたった三ページしかないクラウンのページを繰り返し見ていた。余程気に入ったのだろう。その様を観察していると、次第に彼のお気に入りも分かるようになってくる。九種類ある中の三番目、スワロフスキーの中にサファイアが一際目立つ、シルバーのクラウンだ。本体を眩しく飾るスワロフスキー、そして真ん中に居座るサファイアがアクセントを添えている。豪華かどうかシンプルな物だ。彼が好むのも頷ける。 「結婚してあげてもいいよ」 クラウンの値段とにらめっこしていると、彼がとんでもない事を言い放った。 「……今何と?」 「だから、結婚してあげてもいいって」 明日は槍が降る、いや、世界が滅ぶかもしれない。だってあの彼が、自ら結婚を認めるなんて。おかしい、おかしいにもほどがある。一体全体何なのだ。 口を手で覆い、しばし考える。何か裏があるのか。単に気が変わっただけなのか……。どちらとも有り得そうだから怖い。彼は僕の期待を裏切る天才だという事は、連れ添う中で身を持って学んだ。だから過度な期待はしないようにと常に努めるようになった。しかし結婚は別だ。結婚は忍耐だとか世間は言うけれど、僕にしてみれば一世一代の大決心。愛が極まった末の告白。良い返事は返って来ないだろうと思って挑み、腹部に痛みが走った時に確信し、あとはもう彼をからかう事しか楽しみがなかったというのに。 「嬉しくないの?」 「そんな、嬉しいに決まってるじゃないですか!」 彼が僕の顔を覗き込んで言ったから思わず立ち上がって叫んでしまった。両耳を押さえてうるさいと連呼する彼を見て、慌てて座る。彼は耳を押さえた時に放り投げてしまったファイルを拾い上げ、テーブルの上に置いている。 「すみません。しかし何故急に?」 「……クラウンが欲しいから、って事にしておいてよ」 不満げにぶつぶつ呟く声は聞き取り難かったが、言葉の意味はよく考えれば考えるほどに甘くなった。ここは彼の言う通り、クラウンが欲しいから、という理由にしておいてあげよう。 少し笑って彼の足元に跪く。華奢な手を引き寄せ、甲に一つキスを落とす。彼は嫌がる素振りは見せず、むしろ役に嵌りきっていたようにも見えた。足を組んで、したり顔で上から僕を見るその姿は、まるで王者のよう。僕はそれに仕える騎士。忠誠の代わりに愛を誓うのだ。 そして彼は今日も僕を隣に置く。頭に輝くクラウンを乗せ、イエスの返答を誓いにして。彼の花束の中には牡丹。僕の胸にも一輪の牡丹。誓いのキスは、花が潰れるほど抱き締めてキスをしよう。彼はきっと、赤い顔して怒るだろうけど。 end. 花言葉:ボタン,ぼたん(牡丹) 牡丹の花言葉「王者の風格」から書きました。 割れたカップは骸が片付けたと思います。騎士よりは召使いって感じですね(笑) ※「1925」以降試験的にレイアウトを変えています。 |